創造性
この考えの基となったのは、『「超」整理法』野口悠紀雄氏著の「第4章アイディア製造システム」の「4ひらめき捕獲システム」の「自分をメモする」の中に、馬上(ばじょう)、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)の三上(さんじょう)で、アイディアがよく浮かぶとあったからです。
また、夢で、問題を解決したり、新たな創造をする人もいます。それらは、なぜ、起こるのか、です。
情熱を傾けて一所懸命に努力をしても、創造性が発揮されるわけではありません。また、必ず問題を解決できるわけでもありません。
しかし、ここには、意識と無意識が関係している気がします。
最初に。ここで扱うのは、同じものや代替品で賄(まかな)えることではなく、決まった答えのない問題などです。学校で行われる試験のことではありません。
あることを作ろうと思ったり、問題を解決したい場合、それに関係することを調べたり、いろいろ試したりします。たいていのことは、調べた知識や方法で成就します。
しかし、手を尽くしても、うまくいかないことがあります。その場合、人に意見を求めたり、別の分野の似ているような方法に活路を見いだそうとします。
それでもうまく行かない場合、しばらく時間をおいて、あらためて考えることをします。
そして、タイムリミットが来たときに、この一連の行動が終了します。
しかし、締め切りの後で、そうしていればよかったとか、こんなものを作っていればよかった、とのアイディアが次から次へと浮かんでくることがあります。下衆(げす)の後知恵ともいえる現象です。
後からでもアイディアが浮かぶのであれば、締め切り時間内に起こっても不思議はありません。それはどうしてなのかです。
何かを作りたいとか解決したいとき、目的を達成しようとする意志が起こります。その意志により、意識して調べたりする行動が起こります。行動により蓄積されたデータは、「目的を達成しようとする意志」により、意識的に扱われます。言い換えると、「目的を達成しようとする意志」を意識すると、それらのデータをより強く意識します。
「目的を達成しようとする意志」が無意識にあったとしても、それらのデータも無意識の中でその意志に拘束されたかのように存在します。
しかも、成就するまでは、「目的を達成しようとする意志」は、すぐに意識にのぼってきます。その意志が無意識にあったとしても、より意識に近い領域にあるか、それだけが目だってしまうイメージです。そして、蓄積されたデータは、「目的を達成しようとする意志」とグループや一大勢力となります。その結果、自分の中にある他の情報を受け入れにくくし、方法が固定されやすくなり、柔軟性を失うことがあります。
また、「目的を達成しようとする意志」は、調査に影響していることがあります。調査対象や結果を限定してしまうことがあります。「目的を達成しようとする意志」が強い場合、調査して対象と決めたことしか意識されなくなります。「目的を達成しようとする意志」と特定の調査結果とが強く結ばれた感じです。
しかし、「目的を達成しようとする意志」が強い場合でも、無意識は、調べたことで無関係と思われるものを無意識の中に保存しています。意志との結びつきがないか弱いだけといった感じです。これは、意志に基づく調査だけでなく、その意志とは関係のない情報やデータなども同じことです。
先ほどの「下衆(げす)の後知恵」です。
タイムリミットを過ぎると、「目的を達成しようとする意志」は役目を終えます。そして、「目的を達成しようとする意志」の一大勢力は解散し、蓄積されたデータは、他の無意識に存在するものと自由に交流できるようです。
また、「目的を達成しようとする意志」が活動してきた経験が、解散により、新たな方法に気づいたり生み出したりすることもあるようです。
意識が弱まることで、「目的を達成しようとする意志」は、自由を得るのでしょう。しかし、かすかでも無意識の中に意識できる「目的を達成しようとする意志」がなければ、知恵は浮かばないかもしれません。
「目的を達成しようとする意志」がなくても、新たな発想をすることがあります。思いつきのようなものです。
この場合、情報のやり取り、データの蓄積をしていくと、ある方向性や、共通点などに気づくことがあります。また、何の脈絡もないのに、突発的に発想が浮かぶこともあります。
それはなぜかという疑問から、弱い意志が発生し、何かが生まれることがあります。
また、意志が発生するまもなく、これだ、という発想が生まれることがあります。
発想が生まれる状態の1つに、無意識の中で、情報が自由に行き交うことがありそうです。そして、何らかの方向性を持った意志があると、発想が生まれやすいと言えそうです。
三上や、タイムリミット後の状態は、「目的を達成しようとする意志」が無意識の領域へと移動したり、強かった意識が薄れていくと思われます。そのため、無意識での情報のやりとりが自由になり、意識が特定の意志から解放され、新たな見方できるようになるとも言えそうです。
元々その素地かあれば、すぐに発想が浮かぶでしょう。しかし、そうでない場合、新たな知識を必要としたり、価値の転換を試みたりします。
そして、これらのことが無意識化されると、発想が生まれやすい状態になると思われます。ある程度のデータの蓄積と、意識したことが無意識化するには、それなりの時間が必要です。
そして、このような条件が整ったからといって、必ず発想が生まれるとは言えません。
睡眠時の夢などで発想をすること、を私はお勧めしません。健康にかける負担が大きいからです。
今まで見てきたように、三上やタイムリミット後、のことを考えれば、私たちが起きている時間に発想ができるはずです。
ミュージシャンの中には、昼に暗い部屋を作り、ロウソクなどの明かり、香草やお香なども利用して、作詞作曲をするそうです。
意識したことを無意識化することで、発想が生まれやすくなるのかもしれません。
あることについて、何かを求めるとき、調べたり考えたりします。しかし、その時間が過ぎれば、もうそのことは思わないようにすることと言えます。気持ちの切り替えをすることです。そうすることで、意識したことが、無意識化されやすくなるように思います。
意識することは緊張に似た状態を作っていると思います。それを解除するには、ホットすること、リラックスしたり、趣味を楽しむことだと思います。三上、今で言えば、ドライブ、うたた寝や仮眠、トイレなどでしょうか。もちろん、ハードなエクササイズをした後の、一瞬の放心状態の時もチャンスがあるかもしれません。
だらだら意識し続けること、緊張状態を続けることは、無意識化へはほど遠く、発想は浮かびにくいようです。
更新記録など
2018年5月31日(木) : アップロード