こころと意識
「集中しなさい」と言われると緊張していました。「集中=緊張」と思っていました。
ある夏休みに、昼寝で熟睡したのち、妙に体が気怠(けだる)かった時がありました。それから、宿題をしました。終わってから気づいたのは、恐ろしく集中していたことです。自分の存在すら、わからなかった気がしました。しかも、わずかな時間で済みました。
振り返ったとき、緊張しなくても集中できることを知りました。
その後に、テレビか新聞で、「集中は、緊張することではない」という言葉に出会いました。自分の感覚が間違っていなかったと心丈夫でした。
リラックスでも緊張状態でも、集中はできるということです。
緊張が極度に高まると、手足が震えたり、目が泳いだり、様々な心身の異常が現れます。長期にその状態が続くと、病気になることもあるようです。本人が自覚できることもありますが、他人が気づくこともあります。
ところで、高速で車を運転したり、恐怖を感じると、視界が狭まると言います。それと同じことが意識でも起こるようです。
意識の狭窄(きょうさく)とでもいう感じです。あることについて、いくつも考えられる選択肢があるにもかかわらず、1つの考えしか意識しない状態。または、この考えしかないと思い込んでしまうことです。
強度の緊張、恐怖などを感じると、頭の中が真っ白になる思考停止になります。
これと同じようなことに、アルコール(酒)などの薬物、ケガや病気などでも意識の狭窄は起こるようです。
私がこれを知ったのは、『アルコールとうつ・自殺』松本俊彦氏著と、自身の腰の手術を経験したことからです。
どうも、アルコールの心に与える影響として、気づきを1つのことに絞り込むことがあるようです。ですから、酒を飲むと、笑い上戸(じょうご)、泣き上戸になる人を見るのです。それを激しく繰り返す人もいます。何も意識しないのか、寝てしまう人もいますが。それは、意識が1つの気づきに向かうことを意味しているようです。しかし、この時の意識が、集中しているかどうかはわかりません。
手術前、腰には、突っ張りや痺れ、引きつり、痛みとなどがありました。しかし、術後1週間くらいまでに、医師から、手術の前と後ではどのように変化したか聞かれたことがありました。
ところが、手術前の、腰のどこが悪かったのかが思い出せないのです。退院後、ノートを見ると、様々な症状が書いてありました。手術から一年近く経った今でも、手術前の症状を詳しく思い出せません。
また、術後の1日目は、ある程度覚えているのですが、2~5日後のことが思い出せませんでした。手術から1週間後、ノートに記録をしようとしたときに気づきました。
退院後の行動では、融通のきかないことをしており、意識の狭窄(きょうさく)があったかもしれません。
手術により、病状による苦痛からの解放。手術で切ったところの痛み。麻酔、鎮痛剤などの作用。などの影響が考えられます。
生命に危機を感じると、心身を守るように人体が対応すると聞きます。生命体が異常な状態に置かれると、意識も変化します。
「意識」が十分な働きをするには、心身に負担のない状態、安全で安心な環境が、適しています。
更新記録など
2018年5月31日(木) : アップロード