集中と雑念
後から、あの時はよく集中していたなぁ、と思うことがあります。この時の状態はどのようなものでしょうか。
究極の集中とは、すべてを無意識で活動していること、意識せずに目標に向かって行動していること、なのでしょうか。
ところが、あらゆる行動には、必ずといっていいほど意識を伴います。
たとえば、勉強なら新しいことを学ぶのに、そのことを必ず意識します。「ヒューリスティック(heuristic)」と「アルゴリズム(algorithm)」をはじめて見たとき、その言葉に意識が行きます。調べてみると、心理学で、人が問題を解決するときの方法です。わかると、それまでの状態に戻ります。
そして、その言葉を知らないことがわかり、わかるまで調べます。後から思うと、集中していたと感じます。その時の状態は、心がこのことのみに動いていた気がします。
雑念とは、達成しようとする意志と行動に、目的以外のことが同時にある状態でしょうか。先ほどの例では、「アルゴリズム」を見て、タンゴを思い出し、リズムを取ってしまうことでしょうか。踊り出せば、雑念どころか脱線です。「フローチャート」という言葉を思い出せば、まだ、目的の範囲内と言えるかもしれません。
集中している状態とは、目的を持った意志と行動に対して、意識と無意識がそれに添う活動をすること、のようです。
意識は、正確に目の前にある状況を把握し、目的を達成するのに必要なものを見定める状態。同時に、無意識は、目的を達成するのに必要な活動を支援する状態。と言えそうです。
なぜ、達成しようとする意志と行動とは違うことが意識されるのでしょうか。理由はわかりませんが、雑念を引き起こすものに、記憶、感情、環境などが考えられます。
記憶するのに、関連づけて覚える方法です。ストーリーに仕上げて覚えたり、連想するように覚える方法です。
短い時間で効率よく覚えるには、優れた方法だと思います。いつもこの方法を使うと、1つの言葉、出来事があったときに、違う言葉や出来事を数珠つなぎに思い出します。目的とは関係のないことを思い出しやすく、雑念を生じやすくする気がします。
言葉、出来事などは、そのものをそのまま覚える方が、集中力を保てる気がします。
感情には、いろいろあります。あまりに強い感情は、絶えず意識されやすい状態になります。憎しみ、怒り、恐怖、喜び、悲しみ、笑いなどです。肉親を亡くした直後、しばらく頭の中が、そのことでいっぱいになって、何も出来なくなることを想像すれば、わかると思います。
家庭や職場など、人間関係での感情が安定していると、集中力が保ちやすくなるようです。
環境もこれまたいろいろあります。寒暖、雑踏、騒音等々。
ただ、すべてが集中力を保てないかというと、そうではないようです。テレビ、工場、虫などの音の中でも、読書や勉強が出来る人はいます。ところが、聞き慣れない音には敏感なようで、集中できないことが多いようです。
意識に雑念を生じさせないためには、記憶の仕方、感情、環境などに、ある程度、気を使う必要があります。
目的を持った意志と行動を力強く質を高めるには、意識の領域を空にして、無意識を使うことかもしれません。
更新記録など
2018年5月31日(木) : アップロード