意識の境目
人が何かをしようと思う時、目的達成の行動の意識を持ちます。そして、目的を達するために行動しはじめると、それに向けて段階を追って活動し始めます。その時、「目的達成の行動の意識」は、明確な意識の範囲にはありません。しかし、あきらかに、「目的達成の行動の意識」はどこかにあります。そして、目的を達するまで、その意識はどこかにあります。
何か別の出来事、例えば電話がかかってきた場合、目的を達する活動は中断されます。活動を再開し始めて、しばらくして、「あれ、今、なぜ、これをしているのだろうか?」と、目的を忘れていることがあります。
そして、記憶をたどるなどして、たいていは、すぐに、何のためにその活動をしていたのか思い出します。そして、途中から、活動を再開します。
例えば、来客のため、茶器を準備していた時に、友達から誘いの電話がかかってきます。ひとしきり、話した後、茶器のある場所に戻ります。さて、何をするんだっけ? 茶器を見て、「自分がのむわけでもないし」「棚の整理でもないし」と、心当たりを探しているとすぐに来客の準備を思い出します。茶器の準備の続きを始めます。
自分が何のためにそれをしていたのか、思い出すまでもなく活動を再開する場合もありますし、なかなか思い出せないこともあります。しかし、ついに思い出せなかったということはめったにないと思います。
それは、なぜかという疑問が出てきます。その疑問の解決はできませんが、1つの推察はできます。
意識、無意識は、それぞれに明確に分かれた領域があるのではない、ことです。意識、無意識には、その濃淡があり、その間には程度の差があると感じます。
すなわち、「目的達成の行動の意識」は、事の起こりには意識にありますが、目的を達成するために活動を始めると、意識と無意識の中間くらいの位置に待機している感じがします。だからといって、「目的達成の行動の意識」が、意識と無意識の橋渡しを必ずしているとは感じられません。そして、目的を達成した時、「目的達成の行動の意識」は、どこかに消えてしまいます。
記憶でいうワーキングメモリーに似ています。必要なときは何時でも使える状態にあります。
「目的達成の行動の意識」は絶えず意識に近いところに待機しているようです。何かあれば、すぐに意識に上り、活動がはじまれば、無意識の方向に引っ込みます。
更新記録など
2018年5月31日(木) : アップロード