時間と意識
物が倒れたり、落ちていく時、スローモーションで見えることがあります。野球のバッターなら、投げられたボールが止まって見えることです。なぜこんなことが起こるのでしょうか。
確かに、重力や空気抵抗など同じ条件の場合、物の倒れたり落ちるスピードは同じ時間のはずです。投げられたボールについても、ピッチャーの手からバッターの手元までくる時間は同じはずです。この場合、科学的な計測、距離と時間などを基に加速やスピードを考えています。
ところが、先ほどのスローモーションや止まって見える現象は何を意味しているのでしょうか。科学的な計測は、人間の意識や無意識を除外しています。科学的な計測は一定の結果を表します。ところが人は、その一定の結果を、時には早く、時には遅く感じるのです。人間の時間に対する感覚は、一定ではありません。
人間の感覚は、スローモーションや止まって見えるようにさせることがあるのです。そして、それを意識や無意識によって、そのように感じられるかもしれません。
物を落とした瞬間、どのように落ちてゆくのかを観察すると、ゆっくりと落ちていく気がします。ところが、「しまった」と思って慌てて見ると、恐ろしく早く落ちていく気がします。感情的になると、早く見えるようです。しかし、観察する感じでスローモーションに見えるなら、地面に着く前に、その物を手や足で受け取れるかもしれません。広げたティッシュペーパーを落とした時に、空中でそれをキャッチできることがありますが、それに似ています。
本を速く読もうとして、字面だけを眼で追ったり、気持ちだけが焦って内容を理解できないことがあります。ところが、ただ楽しみだけの本を読んでいると、内容に没頭し時間を忘れることがあります。この時の読むスピードは、速く読もうとした時より、質が高く、速く読んでいることがあります。
本の場合、内容を理解しないと、その目的を達成できません。字面だけ追っても、効果的とは言えません。「速く読もう」は何らかの感情を起こさせており、結果として、心身の自由を奪っているようです。
しかし、意識して、または無意識として、逸る気持ちを抑えて、内容の理解を中心に据えることはできるはずです。
私たちの周囲には、物が動いて人がそれに対応する場合と、その物は動かないが人が動くことで対応する場合があります。ピッチャーの投げたボールは人が対応する場合に当たり、本の文字は身体の一部の眼を動かして対応しています。飛んでくるボールは待っていれば手元に来ますが、文字は眼で追わなければ読めません。しかし、視線を一定に保ち、文字だけを動かした場合、読みづらさを感じます。テレビなどで、右から左に文字が流れる場合です。
対象とする物の動きによって、私たちの心身の動きや、感じ方、時間の感覚などが変わるようです。
また、その物が表すものによっても感じ方は変わります。特に、ひと目見てわかる物と、読まないとわからない文では、時間の感覚は変わります。物でも、見慣れた物と初めて見る物では、感じ方が変わります。同じ時間でも、長く感じたり、短く感じたりします。私たちは、その時々により、感じ方が変わり、時間の感覚が変わっているようです。何を求めるか、感じ方を変えることにより、時間の感覚を変えられるかもしれません。
【参考】
「クロノス」と「カイロス」は時間を表す言葉です。
「クロノス」は、機械の時間で、誰でも同じ時間のことです。
「カイロス」は、人が感じる時間のことで、機械の同じ時間を短く感じたり、長く感じたりする時間のことです。
このページで扱っている時間は、「カイロス」です。
更新記録など
2018年5月31日(木) : アップロード