意識の起こり方
最初に意識を起こさせるものは何でしょうか。たとえば、お腹が空いていたら、食べものを探します。お腹が空いた→食べるものを思ったり探す、ことです。意識をさせるのは、何らかの欲求や感情などが発端のことがあります。
また、朝起きて、とりあえず水を飲む習慣があれば、このこと自体は無意識の行動になっているかもしれません。しかし、この無意識の行動のとき、水をこぼしたりすると、「なぜ毎朝水を飲むんだ」などの意識が起こるかもしれません。
意識を起こさせるものは、何かを満たす方向に働く意志のようなものです。それは、一定の方向に行動をさせるようです。そして、その意志が発生したのち、目的を達成するために、個々の意識が発生します。また、習慣化されたことの場合、行動し続ける中で、何かをきっかけに意識が起こることもあるようです。意志やきっかけは、目的を達するまで、行動の底を流れています。
欲求や感情などにより発生した意志は、意識されます。そして、行動が始まって慣れてきたり、違う何らかの意識が起こると、その意志は無意識へ移動するようです。そして、目的を達するまで、無意識の中で働き続けるようです。
次に、方向づけられた意志を離れて、意識に絞って考えていきます。
意識の起こり方は、大きく2つに分かれるようです。1つは「認識や理解など知的活動」と「喜怒哀楽などの感情など」などの精神活動、もう1つは、対象物を捕らえる視覚、聴覚などの身体活動です。
しかし、現実は、心身は1つです。精神と身体は同時に動いています。書いたり読んだりするのに都合がいいので、分けています。
「№1 意識と無意識」で扱ったように、言葉がわからない、理解できないなどの時に、意識することになります。認知などの精神活動にかかることです。
文章を読んでいると、言葉の意味を無意識が処理しています。ところが、無意識がその役割を果たせない場合、「この言葉は何?」となり、意識します。無意識の中のことで、その言葉がないか、その意味がわからないか、使い方に問題があるかなどの場合です。
この場合、わからない言葉を意識し、文脈から推測したり、辞書を引いたりします。無意識で処理できない場合に、意識をさせて、目的を満足させる行動ができるように仕向けています。
感情にかかわることでも起こります。すばらしい言い回し、感動した言葉や詩、怒りや哀しみなどを感じるときに起こることもあります。その部分を意識したことで、何度も読み返したり、暗記したり、いろんな考えをします。
また、何らかの気づきでも起こります。爪(つめ)という字を見た時、「瓜(うり)」という漢字に似ているなと感じたとします。何が違うんだろうか、と意識します。見比べてみると、爪(つめ)にツメはなく、瓜(うり)にツメがあることがわかります。眼に映ったものに、あらためて発見をしたり、何かの違いを感じると意識が起こることがあります。
身体が原因で起こることがあります。
近視や乱視、老眼で、見たい文字が、ぼやけて、わからない時です。この時、文字は知っているのですが、ぼやけた文字がどのような形なのかがわかりません。どのような文字なのかをわかるようにするために、視線は、ぼやけた文字に向けられます。そして、近づいたり、メガネをつけたりして、その文字が何なのかわかるように行動します。わかろうと意識しています。
身体に痛みや痒(かゆ)みを感じると、意識がそちらの方に向けられます。今までやっていた行動から、身体の不都合をなくす行動をし始めます。読んでいる意識は、痒みを取り除く意識に変更されます。視線も読んでいる所から離れることがあります。痒みを取り除くことから、読もうとすることを回復する意識が起こります。また、元の場所に視線を向けようとする意識が働きます。これは、辞書で言葉を調べた後と同じ感じです。読みを再開するために、意識が働きます。
環境や雑念によるものもあります。
地震の揺れ、爆発音、強い閃光(せんこう)などの非日常的な刺激です。この場合、視線は確かに読んでいる所を見ているのですが、頭の中で、読みの中断が起こります。何があったのだろうと思った瞬間、文章から組み立てていた思考が中断されます。読みを再開する時に、意識が起こります。
雑念も同じような感じです。今やっていることと関係のないことを思いだした時です。雑念が一段落し本分に戻る際、「今までやっていたことは何だったっけ」と意識します。
本分と一部関係のあることを思い出した時です。本分と関係はあるが、参考程度の場合です。本分に関係のあるところを参考にすれば、役に立ちます。しかし、本分と関係のないところに気が行ってしまい、雑念が連鎖的に発生することです。この場合、雑念についても、本分についても、意識が起きます。そして、何を考えているのかわからなくなります。本分に集中したいのに、雑念が頭から離れない状況になります。
強迫性障害に近い心の働きによるものがあります。弊サイトは健常を前提に試行錯誤していますので、病気については触れません。
さて、ここでいう強迫とは、外出する際にドアに鍵をかけたが、本当に鍵をかけたか不安になり、鍵のかかっていることを何度も確かめるなどの行動のことです。文章を読んでいて、この字は本当にこれでよかったのかな、とか、キチンとこの文を読んだのだろうか、などと感じると何度も同じところを読むことになります。意識が過剰に働いています。
返却されたテストの答案用紙に、よく読むようにとのコメントがあった場合に、神経質になるとそのような状態になります。自分ではよく読んでいるのに、まだ、足りないのかとなります。それに類似して、完璧主義があります。文字を見落とさない、完全に理解するなどの意志を持つことです。意志が意識することを促進しています。
これ以外にも、「意識する」ことに結びつくことはたくさんありそうです。
テストやクイズなどは、記憶にあるものを、意識して答えます。全ての問いに答えられる場合、意識または無意識が、問いが何かを理解します。無意識にある答えを、意識または無意識が、意識に持っていく動作をしています。無意識にあるものの中から、必要なものを意識に取り出す作業です。そして、必要がなくなるか、新たな意識が発生すると、用済みのことは自然と無意識に戻ります。
更新記録など
2018年5月31日(木) : アップロード