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読んでやる! 支援技術
雑念

 弊サイト『読んでやる』の読書法を支援するための技術について書いてあります。このページでは、雑念を取り上げています。
 雑念の負担を軽くする方法を考えています。これにより、集中力のアップや、質の高いパフォーマンスを目指しています。

はじめに

 ここに書いたことは、私の一個人の考え方です。読書、体験、人からの話などをもとにつくったもの、ということをまずお伝えします。
 ですから、すべてが科学的なものではなく、体の使い方のように経験則からこうしたらいいといった個人的なものです。同じようなことを既にやっている方もいると思います。

どうして雑念を追い払おうとするのか

 スポーツ、勉強、仕事など、何かをしているときに、関係のないことが頭に浮かび始め、本来のことに集中できないことがあります。その時に、雑念がなければ、と思います。手を動かしたり、考えたりしているときは、まだ、雑念の影響は少ないように思います。
 しかし、何もしていないとき、急に嫌な経験や恐怖、将来の夢や不安が現れ、頭から離れないときがあります。特に、布団に入ってこのような状態になると、なかなか寝付かれず、悶々として朝を迎えてしまうこともあるかもしれません。
 十二分に本来したいことをしたいのに雑念に邪魔される。別の言い方をすれば、雑念さえなければ、満足のいくパフォーマンス(行動)ができた、ということでしょうか。

雑念はいつもそばにいる

 人はいつも何かを感じたり考えたりしている。というのを誰かから聞いたことがあります。人間は知的活動をするので、絶えず脳が何かをしているのでしょう。雑念があるのが普通で、ない方が不自然なのかもしれません。
 ところが、人は自分に都合のよいように感情的に雑念さえなければと思うのでしょう。

雑念はなくせるのか

 自分で本当に集中していたなと後で感じる体験をしたことは誰でもあると思います。この時、雑念を全く感じなかったと思います。
 雑念のない状態があるということは、そういうことになることがあるということ。もしかすると、意図的にそういう状態を作り出せるかもしれないということです。ちょっと違うかもしれませんが、言い換えれば、集中力を高める方法はある、ということです。

雑念の種類

 雑念にもいろいろな種類があるように思います。
 単に過去の出来事を思い出すこと。単なる記憶が脳の中で動き出すことです。楽しいことや苦しいこと、ただの日常の風景など、過去に起こったことを思い出すことです。
 今していることとは関係のない仕事や勉強のことを考えること。ふと、あの計画はこんな風にすれば・・・と、頭の中でグルグル考え方が回るもの。
 過去の出来事や、将来について、思考をめぐらすこと。あの時こうしていればよかったとか、将来こんな目に合わないためにこうしようとか、などです。
 雑念には主に、過去の記憶のよみがえり、と、思考をめぐらす、ことの2つがあるように思います。そして、この2つが複雑に絡み合うことが多くあります。

意識と無意識

 人が何かをするとき、学んだり記憶した情報をもとに、自分なりの興味や考えをめぐらせて行動をしています。
 新しい記憶は思い出しやすいので情報として使いやすいと思います。また、頻繁に使っている情報もすぐに活用できます。
 それは、新しいので思い出しやすく、また、何度も使うことで絶えず意識にのぼるからでしょう。しかし、何度も使うものは無意識にそれを使っていることがあるように思います。
 さらに、生命の危機に関する記憶も、防衛本能が働いて、絶えず意識するような気がします。
 意識の領域には、
① はっきりとものを意識している領域。
② 普段はそのことを考えないが何かをするときにはすぐに情報のやり取りができる無意識の領域。
③ めったに使うことのない無意識の領域。
④ 忘却の領域。何かをきっかけに意識に浮上することがある。
が、大まかにあると思います。
 しかし、領域間ははっきりと線引きできるものではありません。人の知的活動はそれぞれで、グラデーションのように濃淡をもってそのおおよその違いを知ることしかできないように思います。
図1

記憶したもの

 人は記憶したものを永遠に覚えているか? です。人は記憶したものを完全に消し去る(忘れる)ことができるか? です。
 記憶したものの性質とその方法、相性にもよりますが、記憶したものは消し去ることができないと感じています。
 どうでもいいものは、忘却の彼方へ行きます。それでも思い出すものもあります。覚えたつもりでも、なかなか思い出せないものもあります。完全に忘れたと思っても、その周辺の情報を思い出すことはあります。
 例えば、無意味な数字の配列は、一時期は覚えていても、すぐに忘れてしまいます。しかし、それをしたことは覚えています。
 過去の出来事をかなりの確率で覚えていると言えます。また、脳がかなりのショックを受けるか、損傷を受けない限り、覚えたことは脳に刻み込まれているようです。
 嫌なことを忘れようとしても、完全に消し去ることはできない、のです。
 また、忘れたと思ったことでも、周辺情報をもとに思い出せることがあるのです。記憶を完全に消し去ることは難しいようです。
図2

雑念を追い払うには

 では、雑念を追い払うにはどうすればよいのか、となります。
 完全に消し去ることができないし、忘れたことが思い浮かんでくる。記憶を無くそうとしたり、思い浮かんでくることを抑えることはできないのです。
 一つの考え方として、意識の中に、本来の目的以外の雑念が出た場合、雑念を意識から無意識に追いやることが考えられます。
 意図的(意志を持って)に、雑念を無意識に持っていこうとすることはある程度効果があると思います。
 しかしながら、雑念を特定して追い払うため、よけい意識をしてしまうことがあります。雑念が記憶に残りやすいと思います。
 また、次から次へと雑念が湧いてくる場合、対処しきれません。
 もう一つのやり方は、意識の持ち方を変えることです。雑念はいつも意識の中にあり、無くすことはできないと覚悟することです。本来の意識と、雑念を共存させることです。雑念を排除しようと努力するのではなく、雑念があるのが当たり前、自然なこととして受け入れ、本来の目的を実行していく、ことです。日常生活では、目的に関係のないものが多くある中で、目的を達成するためにパフォーマンスをしています。自然な方法といえます。
 ならばと、本来の目的に気を集中して、雑念を無くしてしまう方法はどうでしょうか。これも効果があります。しかし、かなり力が入る気がします。集中とは、緊張をすることではありません。むしろ、リラックスした方が、集中力が高まると言われています。
図3
図4

意識の初期化

 なぜ雑念が起き、それが頭からこびりついて離れないのか、理由はわかりません。
 経験上、疲れていたり、感情の高ぶりから過度の空想をすることがあります。それがあたかも現実味を帯びたように錯覚するのです。
 疲れが雑念の一因であるのは、経験上わかる気がします。ですから、よく寝る、バランスのよい食事を取る、心身を酷使しない、は雑念を生じさせないためには必要です。
 また、いつまでも同じことにこだわったりせず、日ごろから気持ちの切り替えを素早くする習慣も必要だと思います。
 そして、これらの雑念に感じるのは、過ぎ去ったものにいつまでも心をとどめている、ことです。もうすでにこの場にないものを、あたかもこの場にあるかのように感じていることにあります。現実にある自分の置かれた状態と、頭が感じている(空想している、または、過去の体験)感覚にズレを生じているのです。人は、現実を自分の都合のよいように空想する傾向があると思われます。
 雑念のある状態とは、現実と、現実と違うものが、意識の中で混在している状態と感じます。現実と違うものは、次から次へと出てくる可能性があります。
 ですから、雑念の一つ一つを意識の外に追いやる方法は効果が薄いと言えます。イタチごっこに近いものがあります。
図5
 雑念がこのような性質であるなら、現実と感覚が一致するようにすれば、雑念に対処できると考えられます。今あるものを認識し、自分が感じているものがそこにないことを認識することです。そうすれば、ないものを意識することなく、今あるものだけを認識し、雑念を意識の領域外に持っていくことができるはずです。
 パソコンでいう、初期化に近いイメージです。

具体的にどうするのか

 一例として。花しか見えないような環境にします。目をリラックスさせて、花の方に視線を向けます。そこに見えているのは「花」だけです。
 まず、花の映像は眼球の網膜に映ります。その時に、網膜に刃「花」しか見えない、それ以外何もないと脳に現状を意識させます。
 次に、眼球からの情報が送られる視覚野のある後頭部に「花」しかないことを脳に意識させます。眼球から視覚野に情報が伝達される過程にも、そこには「花」以外何もないことを脳に意識させます。
 頭頂部とその道すがら、同じく前頭葉、も同じように、そこには「花」以外何もないことを脳に意識させます。
図6
 見えている(目に映った)現実は「花」しかない、と、見えているものを言葉(意識)にして、現実を脳に認識させます。
 器官と心(感覚)に、あるがままの現実を認識させることです。
 こうすることで、現実にあるものを意識し、現実にない空想(雑念)がそこにないことを認識できます。本来の目的を達成するための行動は、現実に行われていることです。それ以外に何もないことを脳に認識させるのです。
 この方法の優れた点は、雑念を意識することなく、今あるものだけを意識の領域に残せるということです。
 「現実の状態」=「感じた現実の状態」、ということです。

展望

 この方法は、雑念対策だけではないと思います。嫌な出来事から解放されるときにも有効な手段だと思っています。
 恐怖に対して、人の防衛本能は敏感です。過去の体験から、将来での身を護るために過剰に反応することがあります。そして、その体験を絶えず反すうしていると思われるのです。
 今そのような状態にないにもかかわらず、脳がそのような錯覚を起こしてしまうのです。
 このような場合、今そのような状態にないという現実を脳にしっかりと認識させる必要があります。見える現実と、脳(心)が認識する現実を一致させると効果があると思われます。
 忘れようとするのではなく、現実にそこにあるものはあるとし、そこにないものはないとする、ということです。当然そこには、過去も未来もなく、直面している今しかありません。

おわりに

 この方法は、座禅をヒントに考えたものです。座禅は、半眼で壁を見つめます。目を見開いてみようが、細めてみようが、壁しか見えないのです。今ある現実は壁なのです。
 ただ何もない壁を見るのは、視線が定まりません。一点印をつけ、それに視線を向けて、リラックスした状態で壁を見るほうがやりやすいと思います。
 どんな場所でも実践できるので便利です。見えているもので、その場でできるからです。

 この方法でも、絶対に雑念がなくなることはありません。日ごろから練習をしたり、雑念が思い浮かぶ都度、実践するほかありません。それはお寺の僧が毎日修行しているのを見れば想像がつきます。

 自分の意志で、雑念をなくしたり、雑念を意識の外に本当に持っていけるのだろうか、との疑問を生じるかもしれません。しかし、いつも私たちは何かをするとき、意識するしないにかかわらず、それをしようと思って行動しています。意図的(意識して)に行動することで、結果を得ているのです。
 ですから、意志が命令して自分を動かしている、とも言えます。それが生まれ持った人間の性(しょう)なのだと思います。

 以下余白

更新記録など

2021年10月24日(日) : アップロード