社会復帰
ここに書いたことは、私個人の経験や感じたことです。そして、医学や社会制度などについて、私の知識が曖昧(あいまい)なことがあります。このことをご了解のうえで、ご覧ください。
腰痛への対応は、予防維持管理、手術治療、リハビリ、そして、社会復帰の段階を経てきました。このページでは社会復帰を取り上げます。
1 社会復帰について
社会復帰とは手術前と同じような生活をすることです。主婦(夫)なら家事ができるようになること、勤め人なら職場に行って働くこと、です。治療の前と同じような生活を送ることです。
治癒の言葉と同じで、治療は終わったとしても、以前と同じように身体が動くわけではありません。不都合のある体調で、以前と同じ環境に身を置くことになります。
2 社会復帰への感触
手術後、家族に支えられながら、家事をリハビリとしてやってきました。手術から1年たったころ、身体がだいぶ動くようになってきました。少なくとも、日常生活は最低限できるようになってきました。靴下も手の指先を使って何とか履けるようになりました。この調子なら家にいるより外に出た方がより効果的な回復ができると感じるようになりました。
その後数ヶ月、ウォーキングやジョギング、運動を少しハードにして様子をみました。そして、ある程度の労働なら耐えられると思うようになりました。外で働いてみたいと思うようになりました。
働く上で、不安なのは着替えで、下着、靴、靴下など、脱着に時間がかかることです。また、床や畳に衣服を置かないと着替えがうまくいきません。外で働くレベルに、もう少しかかる感じでした。
3 職探し
着替えなどを必要としない仕事を探すことにしました。
少しハードな運動を続けながら、軽作業の仕事を探しはじめました。新聞の求人欄やフリーペーパーやインターネット、チラシなどに目を通すことにしました。
体調などを考えると、自宅近くで、週2~3日、1日2、3時間程度の軽作業がいいのかなと思いました。しかし、この条件でのアルバイトやパートの求人はありませんでした。
軽作業を選んだ理由は、身体を適度に使った方が腰の回復にはよいと思ったからです。あくまでもリハビリの一環としての労働です。
当時、床にあるものは、腰を落とさないと拾えませんでした。いすに掛けたまま、床にあるものは拾えませんでした。
外で働きたい気持ちの一方で、本当にできるのだろうかという不安がありました。
4 ハローワーク
職探しをはじめて3ヵ月目、自分でどうしてよいのかわからなくなりました。ただ、無駄に求人情報を見ていたように思います。
ハローワークへ行こう。何か手がかりがあるかもしれない。
受付で求職の手続きを済ませ、個人情報を書類に書き込み、担当者と面談しました。
やはり思う求人はありませんでした。また、定年間際の年齢のため、求人の数が極端に少ないのです。あっても、専門性を求められたり、力仕事、僻地の事業所などの仕事ばかりでした。その日は失意のうちに帰宅しました。
翌朝、気持ちを切り替えて、ハローワークにあるチラシを片っ端から見ていきました。そこには、職業訓練や就職のサポートなどの紹介がありました。
しかしながら、そのほとんどは40歳代までです。年齢の条件をクリアできるものは限られていました。
また、障害者でも健常者でもない中途半端な立場にあり、それに対応した制度はありませんでした。また、アドバイスを求めても、回答する人もどうしてよいのかわからないようでした。
チラシを見ているとき、高齢者の就職説明会のチラシを配っている人に声を掛けられました。話を聞くと、配っている人は会社が倒産して、今の職業に就いたとのことでした。不景気の頃で求人は全くなく、あっても多くの人が殺到し、とても正社員としての就職はかなわなかったそうです。「契約社員でも、正社員とかわりませんよ」という言葉が印象的でした。
その方から、自分を見つめ直す意味でも、個人的に相談をしてはどうか、とのアドバイスをもらいました。窓口でそのことを話すと、後日、担当者が相談に乗ってくれることになりました。
約1週間後に相談に行きました。丁寧に応対してもらいましたが、やはり就職は難しいというものでした。特に、体調に不安を抱えているのがその理由です。さらに、今までのキャリアは活用できないというものでした。
新しい仕事をするには、はじめから覚えることになります。時間がかかるなら、その間に腰の状況はさらによくなっているはず、と思いました。その反面、状況によっては、腰が悪化するかもしれない、という不安とが交錯していました。でも、新しいことに挑戦するしかない、という決断にあっさりとなりました。
腰の調子がよくなるにつれ、気持ちはなぜかなんでもできる気がしていたのが不思議です。その一方で、長い待ち時間、いすに座っているのはこたえました。
5 職業訓練を見つける
初めての仕事をするには、誰かに教えてもらうのが近道です。職業訓練校のチラシには、高齢者でも受講できるものがありました。早速、ハローワークの窓口で見学を申し出ました。
当日、見学者は20人を超えていました。行くと、指導員から、講義中の様子、実習場の見学、カリキュラム、求職状況などの解説がありました。
見学終了後、指導員に個別に質問をしました。腰のことを告げ、訓練や関連する職業に耐えられるかを。今までに事例がないのでわかりません、とのことでした。企業や就職した修了生の話から、どの程度の身体を使うのか、判断できる情報を、指導員から教えていただきました。
6 職業訓練校を受験
指導員の話から、自分に照らし合わせていました。
修了するまでには数ヶ月ありました。その間に、腰はある程度丈夫になっているでしょうし、自分にできる仕事かどうかの判断もできると考えました。そして、就職の可能性も出てくるという期待がありました。職業訓練校を受験することにしました。
職業訓練校は定員割れでも受験しなければなりません。私が希望するコースの競争率は約2倍です。問題例は公表されていますが、合否の基準が明確ではありません。ペーパー試験が1番でも、落ちる可能性があります。
見学の時期が遅く、申し込みから受験日まで2週間ありませんでした。インターネットで類似問題を探しては解いていました。面接試験の対策は、見学したときのメモを見直しました。
椅子(いす)に掛けたり、寝転がったりして勉強していました。この頃は、椅子に1時間くらいなら平気で過ごせるようになっていました。
受験当日は、ペーパー試験、面接の順番でした。運良く、面接は最初の方でした。待ち時間が短かったので、腰に負担はありませんでした。
7 職業訓練
運良く、職業訓練を受けることになりました。
実際に訓練が始まって苦痛だったのは座学です。訓練の期にもよるのですが、私の場合、座学中心の講義から始まりました。はじめの1ヶ月は朝から夕方まで椅子に座りっぱなしでした。
休憩時間中に歩いたり運動をしたりしましたが、腰にきました。上半身の重みは予想以上に腰に負担をかけていました。帰宅すると、できるだけ身体を横にしていました。
特にキャスター付きの椅子は、強い負担を腰に掛けるようでした。少しの力で椅子が動くので、腰に負担がかかるようでした。指導員に申し出て、固定椅子を使うようになってからは、腰への負担が少なくなったように思います。
訓練開始後、しばらくしてから、腰の調子が悪くなり始めました。そして、訓練を1日休んでしまいました。その後、2週間ほど杖をついて、職業訓練をしていました。
その後、重いモノを持ったり、力を入れる作業、負荷のかかる姿勢をする訓練は、見学となりました。
高齢、腰のハンデを考えると、就職には何らかの売りが必要になります。
少なくとも、年がいくと頭の働きが悪いと思われることは避けたいと考えました。また、客観的に見て、努力をしていることがわかるようにしたいとも思いました。
そこで、職業訓練に関係のある資格を取ることにしました。必要と思われる資格は数種類。そのうち、訓練期間中に受験できるのは4種類でした。試験の日程上、講義の後に資格試験とはいきません。独学をすることもありました。
テキストは、寝ながら読みました。問題集をするときだけは、椅子に腰掛けました。書いたり消したりするので、机を使わざるをえません。やはり、椅子に座っていると、腰がだるくなりました。
そこで、たびたび横になったり体操したりしました。椅子に掛けて問題集、次は、横になってテキスト、体操や散歩・家事といった具合です。
本試験のときは、椅子が会場によって違っており、合わないものもありました。試験時間も長いので、腰には苦痛でした。解答を済ませると、途中退場をしました。
このとき感じたのは、仕事に際して、腰を維持できる体力作りと、一般の健康をよい状態に管理する、のが必要だと感じました。
8 就職活動
職業訓練中に就職活動が始まります。ジョブカード、履歴書、職務経歴書の作り方からはじまり、企業の説明会、求人紹介、企業訪問と順次、計画通りに進みました。
このときに迷ったのが、手術した腰の取り扱いです。応募企業に知らせるかどうかです。
①腰に不安がある以上、伝える方がよい。
②治療は終了しているので、伝える必要はない。
③職業訓練を修了できたので、現場で耐えうると思われるので、伝えない。
④不利なことを知らせるのは、社会常識を疑われるので伝えない。
当初、次のように取り扱うことにしました。
就職活動期を初期、中期、末期の3つに分けることにしました。
①初期:腰のことを伝える。
②中期:腰のことを伝える伝えないは、職務内容により使い分ける。
③末期:腰のことは伝えない。
就職活動の経過を見ながら進めました。初期に内定がでないなら、中期以降、不利なことは伝えないことにしました。
求人に書類応募したのは約20件。うち4件面接。うち2件内定でした。
内定をもらえなかった面接企業のうち1社は、私の経歴を活かしたいとのことでしたが、腰の現状を伝えたところ、断念されたようでした。企業としてサポートできない、というのが理由です。
内定のうち1社は、腰のことを受け入れてくれました。この企業は、職業訓練校の出身者を定期的に採用しており、条件を受け入れる素地がありました。
他の1社は腰のことを伏せて応募した結果です。
応募書類に不利なことを書くと、次がありません。面接で不利なことをいうと、そのことに話題が集中してしまい、本来自分が持つ長所の売り込みができません。さらに、面接担当者から心ない言葉を浴びせられたりもします。ひどく傷つくことがありました。不利なことを言うときは、心の準備が必要です。
この経験から私が得た教訓は、「治癒しているなら、そのことを言う必要はない」ということです。
不誠実なようにも感じますが、それが社会常識だということです。企業は役に立つ人が欲しいのです。不利なことが書いてあったら、企業はネガティブに受け取ります。そして、本当に応募者が当社に就職したいのか疑問に思うでしょう。不利なことへの対処法についても、社会人としての能力が問われています。
治癒をしているなら、もうそのことに触れてはいけないのです。後遺症の不具合があったとしても、それなりに働けばよいのです。
職業訓練校の同期に教えてもらったことがあります。
「治療が終わっているなら、病気のことは伏せて就職活動をするべき。就職して配属先で困ったら、その時に病気のことは伏せて『腰が弱いんで・・・』と言えば大丈夫」
とのことでした。頭の柔らかい同期だと思いました。
9 就職と職業生活
2社内定のうち、病気のことを受け入れてくれた企業に就職しました。
正社員として採用されたのですが、派遣の仕事です。通勤時間は1時間半ほどで、ちょっと遠いかなという感じでした。
仕事は、体力を使うもので、無理な姿勢をとる作業もありました。さすがに、連続して3日もすると体力がもちませんでした。休日は一日中、横になって身体を休めていました。
数ヶ月過ぎた頃に、突然、耳鳴りがしたかと思うと何も聞こえなくなりました。翌日、少しは聞こえるように回復していました。念のため、耳鼻咽喉科で診てもらうと、「回復に向かっている時期となっては推測でしかないが、突発性難聴になりかけていたかも」というものでした。運がよかっただけかもしれない、健康管理を徹底するように、とのアドバイスがありました。
この時、腰がまだ十分に回復していないことと、年齢の割に無理な仕事をしている、と感じました。会社に腰のことを伝えていましたが、それに対する配慮はありませんでした。職場の同僚は気遣ってくれましたが、若い人たちと同じ仕事をするしかありませんでした。
結局、試用期間の末日で退職をしました。
10 社会復帰活動で感じたこと
腰の回復具合からいくと、就職活動や職業生活は少し早かった気がします。一連の活動は、思う以上に神経と体力を使います。日常生活ができるようになったレベルでは、職業生活を続けるのは厳しいものがありました。
もう半年か1年は、リハビリではなく、それに対応できるトレーニングをした方がよかったと思いました。
さらに、定年間近の年齢での就職活動は困難でした。活用できる経歴・経験がないのは致命的です。活用できるキャリアがあるなら、それを軸に就職活動を進めるのがいいと思いました。
資格があると、就職活動ではその努力を評価してくれました。就職にはアピールポイントですが、その実力はペーパードライバーと同じです。現実に現場では役に立ちませんでした。
知名度のない企業では、何とか社員を確保しようしているようです。私が採用されたのも、頭数(あたまかず)をそろえるためだったようです。顧客や現場からの不満に対応するためです。一人の腰のために配慮する余裕はないと思います。
仕事はキツかったのですが、それ以外にも厳しいことがありました。通勤です。公共機関を使ったちょっと遠い約1時間半は、そこに荷物の重さが加わると事情が変わってきます。仕事は汗をかくため、どうしても着替えが必要になります。着替えを入れたリュックは想像以上に重いものでした。交互に背や腹に負っても腰に負担がかかります。そして、体力をかなり消耗していたと思います。
しかし、悪いことだけではありません。仕事で無理な姿勢を取ったために、可動域が広がりました。椅子に掛けたまま、床に置いたものを拾えるようになってきたことです。手の指が届くようになってきたのです。そうなったのは、退職後のことでした。
そして、衰えていた筋力が回復しつつあります。在宅でのリハビリは、日常生活ができるようになることでした。職業生活は、リハビリではなく、筋肉の向上を図るトレーニングといった感じでした。腰が安定した気がしました。
11 まとめ
社会復帰のまとめです。
・社会復帰のためのトレーニングをする。
・腰や体力が社会生活に対応できそうなレベルになったら、社会復帰活動を開始する。
・できるだけ経歴経験のある分野に参加する。
・未経験分野への挑戦は、心身に負担が大きく、十分な検討と計画をする。
・疲れきる前に十分な休養をする。場合によっては活動を休む。
・活動場所への往来も身体に負荷をかけていることを考慮する。
腰痛体験談を終わるにあたって
手術後半年ほどは、社会復帰活動ができるなど夢にも思いませんでした。しかし、1年後には、何かしてみたいと思うようになり、社会復帰を目指しました。3年経った今では、不自由なく生活しています。筋力や可動域はある程度回復しました。若干のツッパリ感、シビレもなくなりつつあります。しかし、若い頃のように腹筋背筋をすると、腰の調子が悪くなります。体力温存や行動には気を使います。
腰痛体験談の全体を通して思うのは、
・手術をするタイミングは重要
・回復するには時間がかかる
ということです。
手術に対する偏見を捨てることが大切です。手術のタイミングは、後遺症の軽重にかかわってくると思います。
リハビリの量を一時的に増やしても、筋肉や靱帯の回復するスピードは同じだそうです。リハビリは適切な動作と適量をコツコツと続けることが大切だと思いました。
急性期のリハビリは休めません。しかし、その後のリハビリは、疲れたときや調子の悪いときは休む方がいいと思いました。リハビリは翌日以降も長く続けていくからです。
絶対に、無理をしないことだと思います。少し物足りないくらいがいいように思います。
職業生活を引退した後も、腰とのつきあいは長く続きます。これからも、腰や身体の調子をよい状態に保つことを心がけてゆきます。
腰痛は多くの人がなりますが、不思議に患者の会のようなものはありません。病気だけをみれば一過性のものですが、生活を考えると長期にわたります。
将来的な展望となりますが。患者の立場で情報を共有し、保存療法から社会復帰、アフターフォローにいたるまでサポートする組織ができれば、多くの人が助かると思います。
【編集後記】
『腰痛体験談』の対象となる期間は約6年間です。手術前の猛烈な腰痛から就職するまでの期間です。
その間、父の死、職業訓練校、資格取得の勉強、就職・職業生活など、さまざまな経験をさせていただきました。回復してゆく喜びとともに、頭の芯に来るような腰痛があったり、歩けなくなったり、心ない言葉を浴びせられたり、つらい思いをたくさんしました。
しかしながら、これは実際に体験したものであり、同じ立場の方へのエールになるものと信じています。
この体験談を作るにあたり、ハローワーク、職業訓練校、入社した会社、その他関係各所の皆様、家族には、たいへんお世話になりました。末筆になりましたが、皆様に心よりお礼を申し上げます。
以上をもちまして、『腰痛体験談』を終了いたします。
ご覧いただきありがとうございました。
【追 記】
2022年(令和4年)5月21日(土)に開脚の体操をしていた時のこと。膝が曲がっていた左足が、まっすぐ伸びるようになりました。痛みもしびれもなく自然に伸びました。身体は、徐々にもとに戻ろうとしています。
【追 記2】
2023年(令和5年)1月21日(火)夜にお風呂に入っていた時のこと。足を延ばして、足の指を動かしていました。すると今まで不自由だった右足の親指と人差指が自由に動いていました。しかも、痺れもありませんでした。手術前の健常な状態になっていました。
ヤッター!との感激もつかの間、3日後くらいに、また、不自由な状態に戻っていました。