『まんがでわかる ピケティの「21世紀の資本」』
- 著者など
- トマ・ピケティ(Thomas Piketty)氏著
- まんが・小山 鹿梨子(こやま かりこ)氏著
- 監修・山形 浩生(やまがた ひろお)氏
- 出版社など
- 宝島社さん
- 版刷など
- 2015年6月第1刷。
- ボリューム
- 175ページ
感じたこと
「立って半畳寝て一畳、天下とっても2合半」でしょうか。人が生活するのには、それだけあれば足りるのです。
どうして労働者の賃金は上がらないのでしょうか。また、働いても生活保護を受けなければ生活できない人がいるのでしょうか。本書は様々なヒントを示しています。
まず、本書は3世紀、20カ国にわたる経済の歴史を分析しています。その中で私がもっとも注目したのは、中産階級が増えたのは一時的なもので、富の分配が平等に市民に分配された歴史的事実がないことです。富は、一部の貴族や富裕層によって独占され続けていることです。そして、民主主義の確立や労働法の制定がなされても、その動向は変わっていないのです。これは、実質的な意味で、資産家、経営者、労働者の関係が変わっていないということです。根本的に経済の制度が変わっていないのです。
以下の記述は、私個人の考えであり、学説やデータの裏付けのあるものではありません。このことをご留意のうえお読みください。
労働者はコスト
労働者の賃金は、絶対的に経営者側が決定権を持っているように感じます。労働者と経営者が対等に賃金の交渉をしているとは考えられません。労働者は交渉する力さえなくなっているのです。
経営者は、事業の開発、維持管理など会社が儲かるようにするのが仕事です。優秀な社員を会社に囲い込むことができれば、その仕事を社員に任せることもできます。よく、経営者は倒産するリスクを負っているといいます。しかし、被雇用者(労働者)も倒産のリスクを抱えており同じことです。
価格競争になった場合、注目されるものに人件費があります。経営者にとって、被雇用者の給料を調整するのが、手っ取り早く、組織外に利害関係を発生させない方法です。そして、被雇用者は、経営者の方針に従うしかありません。他に雇用してくれるところがないからです。人員削減による被雇用者の競争、倒産よる再就職の困難を考えれば、サービス残業、給与の削減に応じざるを得なくなります。職を失うより、不利を飲んでも会社に踏みとどまる方が、収入は確保できるのです。労働者の流動性がないのが、その一因とも考えられます。
この状態は、経営者・使用者と労働者が賃金について対立して均衡を保つシステムが崩壊していることを意味します。労働者は奴隷状態にあるのです。
ところで、労働者の賃金はどの水準にあるべきで、それを何で決めるべきでしょうか。
労働基準法の枠一杯に働いて、生活保護法の基準額に達しない場合、それは、国家の無策、無能によるものです。そして、その金額を少しでも上回っていれば、賃金を最低限満たしたと言えるでしょうか。生活最低限の社会保障は国家の理念です。これを基に賃金体系を考えるのは、自由市場経済に反しています。競争による適正な労働賃金になっていないのです。コストである賃金を少なくすれば、会社はより多くの利益を出せます。違法でなければ、賃金のコストをできるだけ少なくしようとするのは当然のことです。これは、経営者が、労働者を獲得する競争にさらされていないからです。その原因は、労働市場において、経営者と労働者の力関係が均衡していないからです。
労働者側は、労働を提供する調整力をもつ必要があります。言い換えれば、労働の供給に関して実質的な力をもつことです。それにより、自由市場経済としての労働者市場を最適化できるはずです。
労使協調の時代から、社員の社内競争導入へ移行してきました。できる社員の給料を増やし、組織のモチベーション維持向上を図ろうと考えたからです。当然、労働組合が社員間競争に反対し抵抗をしていますが、激しい活動はなかったように思います。激しい抵抗がないのは、労使協調路線の延長です。会社が倒産すれば労働者の生活はないので、協力しあって不況を乗り切るというものです。長年そのような状態が続いたのか、労使協調が当たり前になったような気がします。労使協調時代の労働組合員が幹部職員になり、それを当たり前のこととして、経営をしたとしても不思議はありません。経験がないために労働組合員は、ストライキなど労働者の権利を行使しにくい状態でしょう。労働組合は、御用組合と言われ、経営者や使用者と労働者の取り次ぎ的な存在になっているようです。
この状態では、労働者は少しでも多くの賃金を獲得するどころか、提供する労働の市場価値を高める方法さえありません。
資格取得とよく言います。労働者間競争において、資格をとれば他の労働者と差別化できます。また、1人の労働者の労働範囲は広がります。しかし、資格を取得するのは1人ではありません。絶対的な差別化はできません。資格があっても組織で働く場合、総額が決まった給料が分配されるので、賃金が大きく増えることは考えられません。逆に資格を取ることで、自他共に特定の職種に固定され、労働市場の流動性の恩恵を受けられないかもしれません。雇われている限り賃金の大幅増は見込めないということです。
実質的に労働者を支援する組織がなくなったとも感じます。政党の変化を見ても、労働者を基盤とする政党は見る影もありません。与党でなくても、労働者を基盤とする政党があれば、かなりの勢力を持ち、その影響力は期待できます。
次に、政府と大企業の関係を考えます。国が税収を確保するには大企業の景気策を優先する方が効率的です。なぜなら、大企業の収益は大きく、中小企業の経営は大企業に連動するからです。政府と大企業は、持ちつ持たれつの関係にあるのです。
政府が賃上げ要請を企業にした後、求人チラシを見ると全体として時給が上がっていました。しかし、それから少し後に、スーパーでの商品の値段がそれ以上に上がったと感じました。賃上げ分を商品に転嫁(てんか)したか、便乗値上げをしたとしか考えられません。このことから、賃上げをしても被雇用者の生活は楽にはならないのです。
政党政治は、何らかのポリシーを持った政党が政権を握り、主張する政策を実現しようとするものです。政治には政治献金がつきものです。政党が、政治献金をした者の陳情を考慮するのは当然のことです。政党は、お金を提供してくれる者の見方なのです。労働者は、現在の政党政治に満足のいく賃上げを期待しにくいのです。
いきなりですが、会社は誰のものでしょうか。
十何年か前に話題になりました。株式会社であれば、出資者である株主のものです。会社を経営する権利を有するのは役員です。社員は会社で働く権利を持っています。所有者ということでは株主ですが、立場の違う人が会社にそれぞれ権利を持っているので、意見は分かれます。利益を追求する会社が機能するためには、投資をする株主、経営者、社員が必要です。この3者は、会社から利益を受けます。終身雇用や産業に職人を必要とした日本では、社員は一生を1つの会社で過ごしてきました。会社と社員は一蓮托生の関係なのです。会社は、家族のようなものでした。
ところが、国際競争力、投資ファンド、もの言う株主など日本の会社を取り巻く環境は変化してきました。会社は、家族的なものから別のものへ変わってきました。
社員は、経営者の指示したことをするのが仕事でした。今では、社員もオーナーシップを持って働くべきだとの声も聞きます。社員に経営者の仕事をさせるスローガンに聞こえます。役員のみで、利益の上がる経営を考えるのは難しいからです。役員も能力的な限界があるのです。しかしながら、社員がそのようにして功績をなしても、それに見合う利益の分配は考えられません。オーナーシップを持てというなら、社員を役員にすべきです。苦楽にかかわらず経営者・投資家は利益を手にできます。経営者の利益を得る方法としては、自らは少ない労力で高い収益を得る方がいいはずです。投資家はわずかな資金で高い配当を得る方がいいのです。
経営者は、労働者のような競争にさらされていません。労働市場のように、経営者市場というものはありません。会社の中には、経営者の持ち物である場合があるからです。また、雇われ経営者は会社の生え抜きが多く、経営者の市場形成は見込めません。よって、ヘッドハントされる経営者に法外な報酬が支払われるのでしょう。経営手法が研究された今日では、取るべき手段はだいたい決まっています。経営者は、数ある手法から選択し、自身の個性を生かし、実績を上げるのです。具体的な戦略をシンクタンクや経営コンサルタントに打診することもできます。カリスマとリーダーシップを除けば、経営の実力にそれほど差は出ないはずです。機械化により労働が均質化したように、理論やマニュアル化により経営も均質化してきているはずです。
会社の利益は誰のものでしょうか。
教科書どおりに答えるなら、株主、出資者のものです。被雇用者の賃金はコストのため、利益にかかわることはありません。役員は、利益の大きさによっては、賞与金として利益の分配にあずかります。
仮に大きな利益をあげた場合、その背景には、被雇用者の、より以上の心身を使った労働があるのです。しかし、利益の分配からは排除されます。株主や出資者は労働をしていませんが、利益を得ます。役員は、コストと利益からの二重の報酬を受けることが可能なのです。
しかし、会社の利益に労働という形で貢献した観点から利益分配を考えると、被雇用者に会社の利益を分配してもおかしくはありません。会社が、投資家、経営者、被雇用者で成り立っていると考えると、むしろ、利益を3者で分ける方が自然です。
本書には、お金持ちが「オフ会」で情報交換と人脈形成をしている場面があります。被雇用者(労働者)のそのような場面は描かれていません。
被雇用者にそのような会があった場合どうでしょうか。人脈の形成は期待されます。そして、仕事にも利益をもたらしてくれることもあるでしょう。しかし、利益を上げても、コストである給料はそのままのはずです。
それに対して、投資家、経営者は、人脈による利益増は自分のものとなります。
いろいろと分析することはありますが、以上をまとめると、
1 労働者は自分の市場価値の決定に参加できない。
2 労働者の孤立化が進んでいる。
3 労働者には、投資家、経営者を選択する権利がない。
4 政治に労働者の意見が反映されにくい。
5 生涯に必要以上の財を持ちながら、さらに利益が集中する者の存在。
6 労働者の財が蓄積しない。
となります。
では、どのようにすれば、被雇用者(労働者)の賃金が上がるのでしょうか。
重要なことは、労働の対価を上げることではなく、収入を確保することだと考えます。
具体的には、会社の利益の分配にあずかるようにする。すなわち、会社の出資者になることです。株式会社であれば、株券を持つことです。
これの特徴は、会社の利益分配に競争を持ち込んだことです。労働者が参加することで株価は上がるかもしれませんが、投資額に比べて一株当たりの配当が減る可能性があります。資産家や投資家が今まで手にしていた配当金額が減る可能性があります。それに対して労働者は、今までになかった収入を期待できます。企業間で株式の持ち合いをしていますが、ここに労働者が参加すると考えるとわかりやすいと思います。
労働者が投資家になることで、会社に対して株主としての権利を行使できるようになります。場合によっては、経営者の選択も可能になります。経営者の選択が頻繁に行われると、経営者同士の競争が始まります。ケタ外れの報酬をもらう経営者は少なくなるでしょう。
会社が儲かれば、労働者の利益にもなるので、モチベーションのアップが期待できます。蛇足になりますが、株価の値上がりにより企業の価値は上がります。
労働者が利益分配の競争に参加することが必要です。
労働の供給の調整力を持つこと。
労働価値を適正にするには、労働の需要と供給のバランスがとれていることが必要です。しかし、適正な需給はわからないため、競争により決する以外にありません。現在の状況では、経営者同士が労働者を取り合うという状況にありません。よって、生産物の出荷調整と同じような仕組みが必要になってきます。労働を希望する人の余剰不足のないように、労働者を吸収排出できる雇用システムを作る必要があります。
1つは、労働者組織を作ることが考えられます。労働組合のように対会社ではなく、労働者全体として、雇用と増収を目指す社会制度構築や労働者の生活向上をさせる組織を労働者が運営することです。これにより、労働者の雇用が実現し、一定の賃金水準向上に実効性を持つことになります。
他には、国や地方公共団体が、ある事業において一定期間、公務員として労働者を雇用することです。この場合の賃金や待遇は、正規職員と同じに扱うことが必要になります。
このように雇用の調整をすれば、ある程度賃金が上がることは期待できます。しかし、能力、労働をコストとして考える基準では、賃金の総額が決められているため、確実に賃金が上がるとは言えません。
そこで、労働者組織が法人をつくり、賃金の相場を上昇させることを考えます。通常、株式会社では株式で資本を調達し配当をします。しかし、労働者の法人は、出資者に配当しない資本の調達をします。労働者の組織が出資し配当を受けないようにします。これにより、出資者への利益分配がないので、賃金の総額を増やすことが可能になります。その結果、労働者の賃金のアップが見込めるのです。より待遇のよい職場を選ぶのは労働者にとって自然なことです。雇用者の側からは、労働力の量、質を確保するには、労働者獲得の競争に参加せざるを得ません。
具体的例として、現実にどのようにすればよいのでしょうか(図1)。
労働機構(仮称)のような組織を作ります。この組織の目的は、被雇用者(労働者)の収入を増やすことです。被雇用者から会費を集め、それを労働機構の組織運営、会費の投資運用、利益分配、待遇改善、雇用組織の設立運営などの事業をします。
労働機構は、独立かつ公正な活動が求められます。被雇用者から集められた会費は莫大なものとなり、これをそのまま投資に使うと、市場に与える影響が大きいと考えられるからです。また、労働者が団結して、このような組織をつくるのは困難でしょう。仮に、組織ができたとしても、利益の分配を巡って私的なトラブルが生じる可能性が高いのです。公が設立するのが望ましいのです。事業内容が公正を求めるため、組織で働く人は、公務員かそれに準ずる性質の職員が求められます。
実例としては、未開の村の狩猟に関するものがあります。
獲物を捕ってきた場合、村の全員に平等に分配されるというものです。何年も前にテレビで見たので、この村が現在もこのようにしているのかはわかりません。なぜ、このような制度になったのか理由もわかりません。私の考えでしかありませんが。獲物を捕るのは、男性を中心としたチームです。チームには、老いも若きもいます。体の動く若者が体を使い、老人が経験と知恵を出します。女性は着物を作ったり家事をして、家族が安心して暮らせるようにします。村の将来を託す子どもたちを育てなければなりません。病気やケガをしても、分配されます。村の老若男女の1人1人が役割を果たしており、村が成り立っていると考えているようなのです。
職場では漁業の人手不足を給料の分配で乗り越えようとしたところがありました。これも何年も前にテレビで報道されていたので現在もそのようにしているのかどうかわかりません。漁船を持っている漁師の話です。漁船の将来の購入にかかる積み立て、燃料費や維持管理費、その他必要経費を除いた利益を漁船で働く人が平等に分配するというものでした。若い漁師は、高級車に乗っていました。規模にもよるのでしょうが、漁船の運行には、漁労長(船頭)、船長、機関士、通信士、漁師が必要です。有資格者は、取り分がまったく同じだと不満が出るかもしれません。無資格者が資格を取れない取らない場合、漁船の経営は行き詰まるかもしれません。後継者が育たないからです。それとも、資格者を同じ待遇で雇うかです。しかし、人員を増やせば、取り分は減ります。平等に分配するというのは、難しい話です。
真面目に働いても、どうして豊かな生活ができないのでしょうか。機械化が進んでいるにもかかわらず、仕事の量が増えるのでしょうか。どうして国家がホワイトカラーの残業代をゼロにしようとしているのでしょうか。私には、各国がマネーサプライなどのお金の出し入れだけで事態を解決しようとしているように思います。単純な話です。市場に、お金を流すか回収するかだけの話です。長期的なビジョンにたった根本的な制度を創造できないのです。日本が経済大国になった理由に、貧富格差が少なくなり、国民全体が豊かになったことがあります。日本企業の株式の配当は外国に比べて低いと外資のファンドが、配当の増額を迫ったことがありました。被雇用者にコストを回していたから、配当が減ったのかもしれません。投資に回すお金は、ほとんどの場合、生活に支障がありません。そんなお金が、被雇用者の収入を下げ、生活を脅かしているとすれば、歪んだ制度と言わざるをえません。企業に取って、物が売れるか売れないかは重要な問題です。いくらよいものを作っても、買う人にその資力がなければ、買ってもらえません。被雇用者(労働者)は企業に取ってはコストであると同時に、売り上げを支える顧客なのです。安定した大きな売り上げを目指すなら、被雇用者(労働者)を顧客に取り込まねばなりません。
最後に。賃金格差の問題は収益格差であり、お金が一人歩きして増えていくことに問題があります。働くものにお金が回るように制度を考えるべきなのです。
無理矢理に是正しようとして体制を国家の主導ですると、被雇用者、経営者、資産家の経済に対する意欲が削がれる可能性があります。格差是正のための課税は、富裕層の投資意欲を削ぎます。ホワイトカラーの残業代をゼロにする法案は、被雇用者の労働意欲を削ぐだけでなく健康をも損ねてしまいます。本来、残業代の取扱は、企業間と労働者の関係で、競争により決する問題です。立場の弱い被雇用者を守るためにこそ、国家が口をはさむべきなのです。
国家が職業選択の自由を宣言するなら、どの職業に就いても生活ができるようにするのが本来の姿です。被雇用者(労働者)、経営者、資産の流動性と意欲をかき立てる制度が必要なのです。働かなくても収入が増える現象がおかしいのです。一生生活できる以上のお金ができたら、何らかの形で社会に還元すべきです。
金は天下の回り物です。みんなが回してこそ、経済が活性化し豊かになるのです。
この書物を選んだ理由
マンガを読むときの目と意識の使い方はどうなっているのか実践してみたくなりました。文字だけ、図表混じり文、マンガなどどのような形式にせよ、目と意識の使い方は同じでよいとの予想を確かめるためです。
私の読み方
マンガと言っても、章末、コラム、監修者あとがきは、文章がメインです。マンガの中にも枠で囲ったところで、文章だけというところもありました。
マンガの場合、文章とともにマンガを見るので、非常にわかりやすいと思いました。また、わかりやすいストリーともに、要点を押さえた内容になっているように感じました。原典『21世紀の資本』を読んでいないので、本書の内容と原典の比較した評価を私はできません。マンガの特質なのかはわかりませんが、最も重要と思われるところを要領よくまとめていると感じました。編集される方は、かなり苦労されたのではないでしょうか。
さて、読む技術です。マンガを読む場合でも、見開きページを視界に捕らえ、脳で見る感覚で読むと楽に読めました。文字だけの書籍を読む場合と変わりませんでした。
マンガの場合、1ページにたくさんのコマがあります。どのような順番でそのコマを読めばいいのか迷うのではないかと、はじめは不安でした。しかし、あまり迷わずに読み進められました。マンガがその順番を教えてくれるようです。ですから、見開きページ全体を視界に捕らえる見方は、コマの順番をわかりやすくするので、楽に読めるようです。
マンガは、コマの中に、絵と文字が混在します。文字だけに焦点を合わせるのではなく、絵が見えるように文字を読んだ方が楽に読めます。これは、見える範囲を広げた方が、楽に読めるということです。疲れにくいようにするには、目をリラックスさせることが大切だと思いました。
さて、マンガについては、いろんな意見があります。私の父の世代は、本を読んでいる暇があったら働けと言われたそうです。私の世代は、マンガは俗悪で読んではいけないと言われました。しかし、今日では、マンガは英語にもなり、世界中で読まれています。
私の場合、本は読めませんでした。そして、学校の先生は、マンガを禁止していました。結果として、私は、両方を読みませんでした。人間の精神活動の産物に触れることなく成長した後遺症は大きかったと感じています。後遺症というより発達障害かもしれません。年を取ってからいくら読書をしても、取り戻せないものがあるようなのです。
マンガの中でも一部の先生がOKを出したマンガがありました。学研さんの日本の歴史をマンガで描いた書籍です。書名は残念ながら覚えていません。教科書では独習が難しいのですが、マンガは読みやすく次々に読み進めていく生徒が何人かいたことと、歴史を学ぶことは教育の方針に添っていることが、その理由のようでした。
やがて、先生も勧めるマンガが登場しました。手塚治虫氏の『火の鳥』です。内容が文学や哲学的だからというのが、その理由のようでした。人間について深く考えさせられるということらしいのです。
この手塚治虫氏のマンガに影響を受けた友達がいました。そして、いろんな作家のマンガを読むようになったそうです。文字だけの本は、ほとんど読んでいなかったようです。雑談をしていた時のことです。マンガ好きの友達が言ったのは、国語の成績がだんだん上がっているというものでした。
マンガを読んでそんなことはないと当時は思っていました。しかし、今思うのは、文字を多く読むことは、国語力につながるということです。マンガは正確に言葉を理解しやすいとも言えます。絵が描いてあるからです。1ページ当たりの文字数が少ないとしても、物語の結末を知るには、かなりの冊数を読む必要があります。それなりの文字数を読むことになります。内容がすぐにわかり、読むリズムにスピード感があり、ストリーの展開も楽しく感じるはずです。
語学をマスターするために、英語で書かれた成人向けの本を何冊も読んだという大学の先生の話を聞いたことがあります。一般の本では、数をこなせないからだそうです。国語力を高めるには、より多くの文字を読む必要があるのです。ですから、マンガといえどもより文字を読むということでは、国語力を高めていると言えます。後は、文字だけの本を読む際に、マンガと同じように読めるかです。
書籍やマンガにかかわらず、いかなるものであろうとも、一番大切なのは、人間の産物に触れて精神活動を続けることだと最近の私は思っています。
読書所要時間など
- 所要時間
- 10日3時間17分
- 読み始め
- 2015(平成27)年7月17日(金)21時16分~
- 読み終わり
- 2015(平成27)年7月28日(火)~午前0時33分
- 読んだ範囲
- 表紙、帯、本書の全部。索引、『21世紀の資本』がわかる用語集48も読みました。
取り上げられた書物など
※引用文献、読書案内に多くの書籍が紹介されています。
出来事
7月26日(日) 東京で小型飛行機が住宅に墜落する死亡事故。
調べたこと
- 1 立って半畳寝て一畳、天下とっても2合半
- 豊臣秀吉氏が言ったと聞いていました。インターネットで調べるといろいろな人物が言っているようです。私は勘違いをしていたようです。このことわざを最初に言ったのが豊臣秀吉氏と勝手に思っていたのです。豊臣秀吉氏もこのことわざを言ったことがあるということだったようです。天下を取った豊臣秀吉氏ですらこんなことを言ったということです。
- 2 カトラリー(cutlery)
- 3 後ろ暗い(うしろぐらい)
- 4 累進税(るいしんぜい)
- 対義語は、「逆進税(ぎゃくしんぜい)」。
- 5 抗う(あらがう)
- 6 穏当(おんとう)
以下余白