『いなばのしろうさぎ』
- 著者など
- いもと ようこ氏著
- 出版社など
- 金の星社さん
- 版刷など
- 読んだものは、2011年3月第2刷
- ボリューム
- 32ページ
感じたこと
なかなか味わい深いお話です。
私がこのお話から学んだことは、意地悪な神様がいる、ということです。思いがけないアクシデントに遭うと、「神も仏もいないのか」と叫びたくなることがあります。しかし、意地悪な神様がいることを知れば、不思議な出来事ではありません。
読んだもの№21『ストレスと適応障害』岡田尊司氏著の中に、ヴィクトール・フランクルが強制収容所で見いだした対応の記述がありました。西洋映画などでは、不遇な状態になるとその人が、「神が自分に試練を与えている」と言っていることがあります。これは、信奉する神が一人だったからかもしれません。人を試したり、救ったりと神様は気まぐれなのです。しかし、フランクルは、態度的価値を見いだします。自分の生きる価値を自らが自問自答することです。神の救いを待っていないのです。これは、東洋でいう修行僧が悟りを開くのに近いのかもしれません。
私の周囲には、「捨てる神あれば拾う神あり」という人たちがいます。そうです、神様は何人もいるのです。そして、このことわざを信じる人たちは、きっと、他力本願というより、成り行き任せなのかもしれません。「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」に近いかもしれません。
これに関連して、神と仏は同じなのか、という疑問が私にはあります。『日本的霊性』鈴木大拙氏著に、神仏習合のことが書いてありました。ただ、これらの神や仏と、私が感じているのとは違います。私は、神と仏を同列に考えられません。
神は人間ではないということです。神の使いとしての人間なら理解できます。そして、神はこの世の真理を司っています。ですから、山川草木にも神が宿り、これらの調和を図るのも神であると思っていたのです。そして、仏は、人間で、その真理を理解し、悟りを開いたのだろうと。
ところが、私の感じるのとは違って、神が人間であることもあります。しかし、人間の神様は、自力でできるはずなのに、全体の調和を保つことができません。神と仏が同じならば、陰陽師の仕事は減るはずです。なぜなら、僧にも同じことができるからです。陰陽師は真理を動かし、僧は真理を悟るのです。他と自の違いがあります。神や仏とは何なのかという子どもの時から疑問を思い出すお話です。未だに、私の中で疑問は解けていません。
次に気になったのは、自分のしたことは返ってくる、ということです。因果応報です。
赤裸のウサギにウソを教えた意地悪な神様は、どのような報いを受けたのでしょうか。しかし、意地悪をするとはいえ、神様です。外交特権や治外法権のように、この世では報いを受けることはないかもしれません。また、大国主命が他の神様の荷物を持たされたことから、神様にも力関係があり、意地悪をする神様は絶大な権力を握っていたのかもしれません。しかし、この場合、権力の衰退とともに、迫害される可能性があります。
法律上、ウサギは物で人権を持ちません。よって、ウソをついた結果、損害を被ったウサギが、法に訴えたり、損害賠償を請求することはできません。しかし、「動物の愛護及び管理に関する法律」の愛護動物の中には「いえうさぎ」がありました。しかし、これは飼育しているウサギのようです。やはり、意地悪な神様を裁くのは難しいようです。
裁かれるとするならウサギとサメです。ウサギは、サメから詐欺罪で訴えられ、損害賠償を請求されることになります。同時に、ウソをついたからといって、サメのウサギの皮を剥ぐ行為は私的制裁にあたります。サメも法で裁かれることになります。しかし、これもはじめに戻るようですが、ウサギとサメには人権はありません。法の適用は考えられないのです。
ということで、ウサギ、サメ、意地悪な神様、大国主命と、負のスパイラルになっているようです。誰も得をしていないのです。決して生産的で明るいお話ではありません。
ところで、瀕死の重傷を負ったウサギを救った大国主命に、何かいいことはあったのでしょうか。
最後に。ちょっとだけ知りたいことがありました。それは、回復を果たしたウサギはその後どのような人生を送ったのか、ということです。ウソをつかないと大国主命と約束しましたが、死ぬまでウソをつかずに生きたのでしょうか。
ところで、大国主命と約束したウソをつかないの「ウソ」はどのようなことなのでしょうか。社交辞令のようなウソや、ウソも方便のウソまで含めるのでしょうか。それとも、相手に損害を与えるようなウソという実質的な意味なのでしょうか。はたまた、事実と違うことはすべてウソということなのでしょうか。
当初の段階で、仮に、ウサギがサメに「向こうの大きな島に渡してくれないか」と頼んだ場合はどうでしょうか。サメは、二つ返事で引き受けてくれたでしょうか。ウサギを渡したところで、見返りがなければ、サメが引き受けてくれるとは思えません。また、情けは人のためならずと言いますが、ウサギの願望を叶えたとしても、それは「情け」にはあたらないでしょう。
それとも、読んだもの№29『「自己啓発病」社会』で紹介されていた『なぜ正直者は得をするのか』藤井聡氏著のタイトルのように、ウサギは、生涯、得をしたのでしょうか。
この書物を選んだ理由
今までに弊サイトで取り上げた本を読んでいると、『因幡の白兎』のお話を思い出すことがありました。非常にシンプルな物語ですが、多くのことを考えさせられます。いつかは取り上げたいと思っていました。
はじめて絵本を取り上げましたが、これには理由があります。読書技術において、弊サイトは、目と意識の使い方は大切だ、が持論です。この考えから、絵を見ながら文字を読むことができるか、にトライしてみたいと思いました。
もちろん、いもとようこ氏の心温まる絵に感動したことも取り上げた理由の一つです。
私の読み方
絵本はA4サイズで、見開くとA3の大きさです。描かれた範囲が広いのと、絵が大きく描かれているので、文字を小さく感じました。絵本全体を視界に入れると、どこに読むべき文字があるのかは、一目でわかりました。しかし、文字を読み始めると、見える範囲は狭くなりました。絵だけ見る場合の範囲は広くなりますが、文字を読み始めるとその範囲は狭くなります。文字を読み始めると、絵の見える範囲が、狭くなったということです。
絵を見ながら、文字を読めるようになるといいことがあります。子どもに読み聞かせをするとき、いっしょに絵本を楽しめるからです。文字を読めない子どもは、声を聞きながら絵に集中しています。ところが、読み手が文字だけに集中して、絵を見ていないと、絵本のよさが半減してしまいます。前もってや後で読むというのも、時間の面でどうかと思います。お馴染みのお話の絵本もありますが、はじめて聞く創作されたものも多くあるからです。
取り上げた絵本の文字は、明朝体のような文字を主に使っています。時々、ゴシック体やポップ体のような文字が出てきます。絵の大きさ、感じからすると、ゴシック体やポップ体のような文字を使う方が、絵を見ながら文字を読みやすいと思いました。明朝体のような文字は、少し細くて読みづらいと思いました。ウサギがサメを呼ぶ場面で、明朝体とゴシック体のような文字が混在するページがあります。実際に読んでみると、明朝体のような文字を読むときは絵の見える範囲が狭いと感じられるのに、ゴシック体のような文字の時は絵の見える範囲が広くなったような気がしました。目の焦点の合わせ具合が変わったということでしょうか。
読んでいるうちに、絵を見ながら文字を読めるのではないかという感触はありました。
読書所要時間など
所要時間 : 2日3時間27分
読み始め : 平成26年11月26日(水)午前10時32分
読み終わり : 平成26年11月28日(金)13時59分
読んだ範囲は、表紙から本文、著者紹介、裏表紙まで。
出来事
11月21日(金) 国会衆議院解散。首相が「アベノミクス解散」と命名。
11月22日(土) 長野北部で震度6弱の地震。建物が倒壊するなどの被害が出る。
※見当たらなかったので、当書の読書期間に近いものを取り上げました。
ひととき
皇帝ダリアです。3年ほど前から、近くの公園で見かけるようになりました。毎年、この時期に咲いています。
平成26年11月21日(金)撮影。
調べたこと
- 1 いなば(因幡)
- 鳥取県東部。白兎海岸辺りのことでしょうか。
- 2 うさぎ(兎)
- 3 いなばのしろうさぎ(因幡の白兎)
- 古事記にある出雲神話。
- 寿製菓株式会社さんが「因幡の白うさぎ」というお饅頭を製造販売しています。人により好みはありますが、私はこれが大好きです。豆腐ちくわとこのお饅頭は鳥取のお土産に最適です。寿製菓株式会社さんのホームページには、このお話が掲載されています。検索サイトGoogleを使って社名を入れて検索すると、すぐに見つけることができます。
- 4 神話(しんわ)
- 5 おきのしま(淤岐島)
- 鳥取県の白兎海岸に「淤岐ノ島」がありました。ウサギが体を洗ったという「御身洗池」が、白兎神社にあるそうです。「鳥取市観光コンベンション協会」のホームページに紹介されています。
- 6 さめ(鮫)
- 「鰐(わに)」は、鮫の古称。子ども時に読んだものは、「わに」だったように思います。「鱶(ふか)」との違いは?
- 7 さけぶ(叫ぶ)
- 8 なかま(仲間)
- 9 くらべる(比べる、較べる、競べる)
- 10 ・・・とも
- 11 ・・・ながら(・・・乍ら)
- 12 ぴょんぴょん
- 13 ひといき(一息)
- 14 おおわらい(大笑い)
- 15 うそ(嘘)
- 16 しま(島、嶋)
- 17 だます(騙す)
- 18 はぐ(剝ぐ)
- 19 あかはだか(赤裸)
- 20 いじわる(意地悪)
- 21 かみさま(神様)
- 22 とうとう(到頭)
- 23 おおくにぬしのみこと(大国主命)
- 担いでいた大きな袋の中には何が入っていたのでしょうか。他の神様の荷物を持たされていたことから、パンツやシャツが入っていたのでしょうか。やはり、貴重品は、本人が持っていたことでしょう。
- 24 かわいそう
- 25 がま(蒲)
- 26 ほわた(穂綿)
- 27 くるまる(包まる)
- 28 もとどおり(元通り)
- 29 おじぎ(御辞儀)
- 30 やくそく(約束)
- 31 はんせい(反省)
- 32 山陰(さんいん)
- 33 山陽(さんよう)
- なぜ、中国山地を境に北を山陰、南を山陽と言うのでしょうか。やはり、中国の考え方である陰陽(おんよう、おんみょう)道の考え方なのでしょうか。そして、当時の国家が、それを司る陰陽師に名付けさせたのでしょうか。陽といえば明るい、陰といえば暗いというイメージがあります。しかし、陰陽道は、陰と陽の2つあって成り立つものであり、明暗とか善悪とは関係ないということを聞いたことがあります。陽だけでは焼き尽くされ、陰だけでは凍えてしまいます。インターネットで調べても同じようなことを書いていました。いずれにせよ、山陰、山陽がどうして名付けられたかは、確固たる証拠がない以上、憶測の範囲でしかないように思います。
以下余白