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読んでやる! 読んだもの まとめ
№4 腸について

 『腸内革命』、『腸脳力』、『脳はバカ、腸はかしこい』を読んだので、私の経験と照らし合わせて、腸についてまとめてみました。進化、腸の動き、食品、将来的展望について、私の考えを述べています。

腸について

 『腸内革命』、『腸脳力』、『脳はバカ、腸はかしこい』を読んだので、私の経験と照らし合わせて、腸についてまとめてみました。
 読んで気になったのが、人間を形作る大本(おおもと)は腸だということです。そして、元気でいるためには、食品がいかに重要かということです。
 腸から脳が生まれ、人間はどのような進化をこれから遂げていくのでしょうか。与えられた環境下で、種の継続を有利にするために生物は進化したと思います。他の生物と違って、人間は自らがデザインしたように進化できるのかもしれません。
 進化、腸の動き、食品、将来的展望について、私の考えを書きました。

進化から

 脳は腸から生まれたものだそうです。腸は生命の根元であるそうです。栄養分を吸収できなければ、生物は生きていけないということです。しかし、なぜ、生物は脳を持つようになったのでしょうか。やはり、生物が環境に適応し、生存していくのに必要だったからに違いありません。
 私が読んだ本は、現在の人間が健康を保つうえで腸の役割の重要性について語っていました。しかし、今後どのように人間が進化していくのかについては語られていませんでした。将来人間がどのように進化するのかを気にするのには理由があります。
 スクラップをしていなかったのは残念ですが、国内の大学の実験で、マウスにあるストレス下でショックを与えると、そのマウスの子どもは未経験であっても同様のストレス下に置くだけで防衛行動を取る、というような記事が新聞に載っていました。私がこの記事から感じたのは、今生きている私たちの行動が、子孫の行動に反映される可能性がある、ということです。ストレスに曝(さら)された親の子どもには、何らかの因子が引き継がれるのではないか、ということです。性格は遺伝するそうですから、感情や環境に適応する能力なども親から子に引き継がれても不思議はありません。ですから、今生きている私たちが、どのように振る舞うかによって、将来の子孫のあり方も変わるかもしれません。
 そのうえで、私たちがどのように進化するのかを考え、今を生きる必要があると思います。
 腸から脳が生まれたことは、進化といえると思います。脳は、各器官と神経でつながっています。脳は、全身の集中制御室のような役割を果たしています。しかし、時として、ストレスなどによる脳の混乱、感情が、自律神経の失調をもたらすことがあります。現在の労働や経済環境を考えると、この感情の問題を制御しなければ、さらなる発展は望めないかもしれません。だからといって、人の元である腸だけに焦点をあてて対策を施したからといって、解決できるとは思えません。なぜなら、発展したり、進化したりする方向にないからです。
 将来、人がどのように進化するのか、わかるのでしょうか。わかるのであれば、現在の延長線上の進化に向け、行動すればよいことになります。しかし、想像はできても、正解を得られないと思います。そうであるなら、人類が生き残るためのあらゆる可能性を考えて、行動することが大切だと思います。

腸の動き

 腸の動きに自律神経がかかわっています。蠕動(ぜんどう)運動は、人間の意志ではできないということです。しかし、ヨガの修行者の中には、細く長い布を口から入れて、肛門まで通すことのできる者がいます。学校の先生から聞いたことも、テレビの映像で見たこともあります。また、ストレスを感じると下痢や便秘など通常とは違う腹の状態になることがあります。これは、自律神経の失調による結果と説明するのが多いようです。しかし、ストレスは人間がどう感じるかであり、その状態を意志により再現できることも可能だと思います。何らかの方法を使えば、意識して腸を動かすことができるのかもしれません。

 便秘になったときに、臍(へそ)を中心にして手のひらでお腹を撫(な)でたり、お腹をマッサージしたりすると効果のあるときがあります。『腸脳力』の中に、そのやり方が紹介されていました。この方法は、私の小学校時代、遠足の前日に担任の先生に教えていただいたものとほぼ同じです。決して、新しいものではなく、昔からある方法のようです。ちなみに、私が聞いた方法は、男女によって、臍(へそ)を中心にした回し方は反対にする、というものでした。腸にも性差があるのかもしれません。便秘状態でバスに乗ると酔いやすいので、先生もそれを解消するために勉強されていたようです。腸をマッサージするということでは、腸捻転(ちょうねんてん)になったとき、医師が腹を手でマッサージするそうです。それでもダメなときは、開腹手術すると知人から聞いたことがあります。腹の上からでも、マッサージは腸に効果があるということです。
 腹筋を鍛えると便通がよくなるときがあります。やり過ぎは、かえって便秘になることがありますが。腹筋だけでなく、背筋、太もも上げ、ジョギング、ウォーキングなど、軽めの運動は消化器の活性を高めるようです。ここで注意したいのは、水分補給です。軽い運動だから、汗をあまりかかないからといって水を飲まないと、一時的に便秘になることがあります。また、熱中症など他の病気にもなりかねませんので、意図的に水分補給をするべきです。
 なぜ、運動をすると便通がよくなることがあるのでしょうか。必要な栄養を吸い取った残りは滓(かす)になるので、腸が要らない滓(かす)を出そうとしているように、私には感じられます。消化器官は必要な栄養を吸収するところです。体を使う労働、神経を使う作業、頭を使う作業により必要とされる栄養は違うはずです。デスクワークを中心に働いているのなら、運動は効果が期待できるということです。体を使う労働の場合、読書やゲームなど頭を使うと効果が期待できるということです。また、仕事により、必要な栄養を考えた食事を取ることも効果が期待できそうです。さらに、必要な栄養は個人差が考えられるため、日誌などをつけ、自分にとって一番いい方法を探すのが最もよいと思います。

 腸の吸収力について考えることがあります。宇宙計画の中に、人の排泄物の再利用があるそうです。人が食べ物を摂取した場合、完全には栄養を吸収していないそうです。排泄物には、栄養が残っているのだそうです。それを再利用して、食べるものにするそうです。
 吸収し尽くされたと思われる排泄物は、深い溝があり、硬く軽い感じがします。吸収していないと思われる排泄物は、表面に溝はなく、ざらざらで、柔らかく重い感じがします。1日3食とりますが、少し多めにとると、吸収していない感じの排泄物になりやすいようです。1日1、2食にすると、吸収した感じの排泄物が出やすいようです。
 1日3食は習慣であり、腸の調子に合わせたものではないと感じることがあります。社会の営みにあわせて、1日3食にしたのではないかと。仕事の種類によっては1日5食なのだそうです。その食事は仕事をするうえで必要かもしれませんが、体にとってよい食事なのかを考える必要があります。さらに、個人差もあります。
 腸を働かせるためには、体が栄養を欲していることを伝える必要があります。手っ取り早いのは、運動、断食、いつもと違うことをすることだと思います。休みが続くときは、日頃しないことに効果があると思っています。たとえば、ハイキング、キャンプ、旅行、山登り、パズルなどです。頭と体の両方でいつもと違うことをすれば、必要とされる栄養は違ってくるはずです。腸はそれを吸収するために働かざるを得ないと私は感じています。いつもと違うことをするので、消費カロリーが増えることも予想されます。一時的に便秘気味になるかもしれませんが、腸は動き出すはずです。
 焼き肉のバイキング店に2日連続で行ったことがあります。両日とも肉を中心に大量に食べました。2日目を食べ終わった夜、下痢に襲われました。どうも、栄養が余りすぎているようで、体が不要と判断して出そうとしているように感じました。高カロリーの食品を大量に食べるとこのような状態になるんだと驚いたことがありました。余談ですが、戦記文学の中に人肉を食べた人のことが書かれているそうです。空腹に耐えかねて、戦死者の肉を食べた人の目はぎらぎらに輝き、顔の皮膚は脂ぎったような独特の光沢を発するそうです。私が、3日ほどの断食を終えて、いきなり焼き肉を食べたところ、同じような感じになりました。この戦記文学のことを知っていたら、断食後に焼き肉を食べてはいなかったでしょう。断食の後は、重湯からはじめる理由を知った出来事でした。
 まだ若い頃ですが、食事の途中で、食べることに疲れたと感じたことがありました。しかし、それにもかかわらず、おいしく感じられるので私は次から次へと食べ物を口に入れていました。たとえ、必要な栄養を吸収しなければならないとわかっていても、腸も疲れることがあるらしいのです。疲れ切った結果が、急性胃腸炎でした。このような状態になると、食べ物から栄養を吸収しなくなるのか、骨を抜かれ、体が鉛のように重く、だるく感じたことがあります。やる気、根気、意欲など精神の活性度が全くなくなりました。このときに、腸だって休日が欲しいに違いないと思ったのです。消化器官の中に何もない状態、空腹期間を作るのは大切だと感じました。それが、吸収力を高めることになると考えています。ですから、ひと月に一度は、胃のバリウムを飲んで検査をするつもりで、夜の9時以降は食べず、翌日の昼食から食べれば、消化器官の休息になると思います。翌日が休みの場合、夜の9時までに食事を済ませ、翌日に朝寝坊をすれば、簡単にできます。

 食べる量をどうするのかという問題があります。食べ物の質、量により、腸の動きが変わるように感じるからです。当然、個人差が考えられます。
 ここで考えることは、カロリーと食べ物の容量です。
 満足感を得るには、食べ物の一定容量が必要です。茶腹(ちゃばら)も一時(いっとき)という言葉があるように、お腹を膨らませることは大切なことです。人の満足感は、カロリーで満たされるようにはできていません。一定のカロリー量で、脂身の多い牛肉と野菜を比較すると、その容量差に驚きます。そして、自分に必要なカロリーを牛肉だけでとった場合、おいしいとは思いますが、お腹が大きくならないために満足感はなく、もっと食べたいと感じます。野菜だけでとった場合、量を食べきれないことがあり、満腹感はあっても、味覚において満足感はありません。カロリーと容量を満たすためには、食べ物の組み合わせが必要だということです。この場合、肉と野菜を組み合わせ、カロリーと容量、そして、うま味を感じる、を満足させることが大切だと思います。
 高カロリーな食品だけで腹を満たした場合、腸はあまり働かないような気がします。必要なタンパク質や脂質などのある魚肉を確保したうえで、カロリーの低いミネラル分のある野菜を多くとることが腸を働かせるうえで大切ではないかと思うのです。腸も生命体の一部ですから、楽に栄養を摂取しようとするはずです。栄養素の塊だけがあれば、楽に仕事ができるわけです。ところが、栄養の塊である肉とともに、栄養を摂取しにくい野菜が混在してやってくると、腸はそこから必要な栄養を吸収するために積極的に働かざるを得ません。このような状態で、腸が動き出すと、野菜からも栄養を摂取するようになると思うのです。
 一定の量を毎日、毎食とって、どうなの?、と感じたことがあります。人のおかれた環境や体調は同じように見えて、実は同じ日は1日としてありません。天気、温度、湿度、働き方、感じ方などが毎日違うからです。必要なカロリーや栄養素は、日々変わるということです。無性に特定のものが食べたくなるときがあります。これは、体が要求していると感じるときがあります。食べたいものをいつもより多く食べる。太りすぎれば、ダイエットをすればいいのです。大切なのは、今必要な栄養を体に取り込むことだと思います。ですから、容量を多くとるときもあれば、少なくとるときもあってもいいのではないでしょうか。その方が、はたらき加減を調整する必要が出てくるので、腸は働かざるを得ません。また、多種多様な食べ物を食べることでも、腸を働かせることができるように感じます。

食品について

 私が食品に関心を最初に持ったのは、甘味料のチクロです。私は当時保育園児で、友達からチクロが体に悪いことを教えてもらいました。食べるものは大切なんだなと感じたことを覚えています。それから、タコの形にされる赤いウィンナーに着色料が使われていることにショックを感じました。最も衝撃を受けたのは、授業で有吉佐和子氏の『複合汚染』が取り上げられたときでした。私が何気なく食べているものが、危険をはらんでいることを知ったのです。多くの着色料や保存料です。ありとあらゆる食品に使われています。製造者にしてみれば、食中毒でも起こそうものなら、倒産に直結します。また、製造コストを下げることで、安価で消費者に製品を提供することができます。これらが、安定した安全と生活を継続させている反面、私たちの子孫は生命力を失っているのかもしれません。
 スーパーやコンビニで売っているお弁当を食べると、私はたいてい熱っぽくなります。どうも体に合わないのです。また、牛乳を飲むと頭がぼうっとして働けなくなるときがあります。人によっては、保存料や着色料などの薬品、特定の食品が体にあわないことがあるのです。今ほど、冷凍や保冷などの保存技術が進んでも、薬品を使った方法がなくならないのが不思議です。

 どんなものを食べるといいのかという疑問があります。食品成分表には、食品について、特定の成分と含有量が示されています。しかし、その成分がすべてかというとそうではないはずです。人間にとって必要だと思われる主な成分だけを表示しているようなのです。そして、人にとって必要な成分を科学的にすべて把握しているとも思えません。『複合汚染』の逆で、ある食べ物の成分同士が組み合わさって、生命体に精気を吹き込む可能性も考えられるからです。食べ合わせのようなものです。ですから、いろいろなものを食べることは、生命力を後生につなぐことになると私は思います。しかし、スーパーで野菜を見ていると、年を通して大体同じ種類のものしか置いていません。季節のものといえば、タケノコくらいでしょうか。肉にしても魚にしても同様です。私たちの選択肢は限られているのです。見慣れない食べ物が棚にあると、なかなか売れないようです。食べ方がわからないのと、安全かどうかわからないからでしょうか。
 土筆(つくし)、蕨(わらび)、蕗(ふき)、虎杖(いたどり)などを田舎に住んでいたときに私は食べていました。これらは、雑草と同じところに生えているので、農薬の心配は少なくて済みます。土から生えてきているので、土の養分で育っています。しかし、今の食品は、工場でできるものがあると聞きます。トマトは、建物の中で、水耕栽培、人工灯で育てるそうです。また、コピー食品(模造食品)の台頭も気になります。それらを食べて満足していますが、本来の栄養をとっているとは思えません。土で育つといろいろな養分を食材に蓄えるはずです。模造食品では、本来の栄養素はとれません。また,土に植えたものであっても、店の棚に入る規格に達すれば、収穫するそうです。この生産物は未熟で十分な栄養がないそうです。視覚的に脳は満足しても、生命体は栄養不足になっていることが考えられます。サプリメントが売れる理由なのかもしれません。頭で考えて、不足する栄養素を補給しなければならないのです。ウソにウソを重ねたような食生活を送っているかもしれません。土からの栄養を確保するには、アサリやシジミ、レンコン、ゴボウなど土の中にあるものを食べる必要があるのかもしれません。また、同じ食材でも、産地を変えて食べてみると、育った土が変わるのでいいかもしれません。しかし、これらの中身のない食材がはびこる原因は、消費者がきれいなものを求めた結果ともいえます。見栄えのいいものしか買わないからです。そのツケは、結局は自分たちが払うことになります。

将来的展望

 からだの部分は神経で脳とつながっています。腸が調子悪ければ、脳に何らかの合図を送っているはずです。また、脳がストレスを感じたときに、腸に異変が生じることから、逆のこともあるようです。このことから、脳と腸はコミュニケーションをとることができるのかもしれません。これは、他の臓器にもいえるのかもしれません。自律訓練法で体調を整えることができる場合があることを考えても、可能性は高いと思います。また、腸は、お腹の外から手など使ったり、食べ物を入れることで、内外からメッセージを伝えることができます。
 要は、腸の調子を脳が知り、脳の状態を腸が知ることで、健康を保つことができないかということです。各器官から必要な栄養を脳に伝えます。その情報に基づき、食材や調理法を脳が実行します。食べたものを腸に送り込み、特に必要な栄養をよく吸収するように脳が腸に伝えるのです。これができれば、効率よく栄養素を体に取り込むことができます。また、不要な薬品類や栄養素を吸収しないようにできるかもしれません。
 これが現実のものとなれば、けがや病気をした場合にも、必要な栄養や物質を体の必要な器官が脳に要求し、消化器が効率よく吸収し、最大の免疫力を発揮できるようになるかもしれません。また、肥満などの生活習慣病も予防できるようになるかもしれません。これをするには、脳と臓器のコミュニケーションをするというよりは、心身が一体となる方が健康を維持するには効率がよいように感じます。

おまけ

 4月28日に、夕食の料理中に、スライサーで指の皮膚を飛ばしてしまいました。血が止まらないので、夕方に外科で、剝(は)がれた皮膚を指に縫い付けてもらいました。翌朝、いつもの便意がないのに驚きました。しかし、頭痛など体の不調はありません。排便したのは、夕食をとってしばらくしてからでした。けがをすると修復に必要な栄養を確保するために、消化器は念入りに食べ物から栄養を吸収しようとするのかもしれません。
 このサイトをご覧の皆さんも、スライサーで調理をするときは、指を削らないように気をつけてください。万一、皮膚が剝(は)がれた場合、剝(は)がれた皮膚を持って、外科を受診してください。剝(は)がれた皮膚があれば、血が止まりやすいそうです。
 ちなみに、作ろうとしていたものは、レンコンチップスです。レンコンのスライス中にけがをしてしまいました。翌日の夕食に、パートナーがレンコンチップスを食卓に載せてくれました。そして、おいしくいただきました。私の皮膚がチップスにならなかったのは不幸中の幸いでした。

 以下余白

更新記録など

2014年5月1日(木):アップロード
2016年1月15日(金) : レスポンシブ様式に改装