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読んでやる! 読んだもの まとめ
№3 自律訓練法について

 自律訓練法について、今まで読んだものを私なりに自分の考えをまとめています。

自律訓練法について

 №9『自律訓練法の実際』、№10『自律訓練法(松岡氏共著)』、№11『自律訓練法(A・ミアース氏著)』を読んだので、私なりに自律訓練法についてまとめてみました。

まとめ : 自律訓練法は、『自分を知る』、方法です。

 自律訓練法は、どんな人がするもので、本当に効果があるかということが気になりました。また、自律訓練法とセルフコントロールを区別した方がいいように思いました。自律訓練法は自律神経の調整をするもので、セルフコントロールは感情の方向を変えるもの、というようにです。

1 対象者

 a 健常者以外の人
 b 何らかの目的を持った人

 自律訓練法は、精神や身体が緊張し、体調の異変や感覚がいつもと違うと感じる人たちが対象です。しかし、体調がおかしいと感じても、緊張が原因であると本人が自覚することは少ないと思います。「健常者以外」とは、病気ではないが、自分では健康だと感じられない状態のこととします。
 また、スポーツや学習、日常生活のストレスや疲労を少なくし、自分の能力を効率よく出すことが期待できます。自律訓練法は単純なことの繰り返しですが、継続することが必要です。何らかの明確な動機がないと面倒だと感じるかもしれません。ですから、何らかの目的を持った人が、試しにやってみるのもいいかもしれません。

2 自律訓練法をはじめる前に

 はじめる前に、心身に異常を感じているときは、必ず医療機関で診察を受けた方がいいと思います。はじめてからも、体調が優れないとか、いつもの感覚と違うと感じたときは、必ず医師の診察を受けるべきだと思います。検査をして、心身について異常のないことを確認すべきです。自律訓練法が痛みを緩和する性質があるため、病気の早期発見、早期治療を見逃してしまう可能性があります。
 心身に生じた異変は、気持ちを緊張させることがあります。身体の異常が気持ちに、精神の異常が身体や気持ちに影響を与えるからです。
 異常が見つかったが、自律訓練法を開始したいときは、自律訓練法の専門医に診断と検査結果をもって相談すべきだと思います。自律訓練法をできる、できないの判断ができます。できる場合、病気をより効果的に治療できるかもしれません。
 自律訓練法をはじめるときは、できるだけ指導医に教えてもらった方がいいと思います。本を読んで独学しても、本当にできているかどうかを自分で判断しにくいからです。疑問が生じたときに、適切なアドバイスを受けることが期待できます。また、質の高い習得とそれにかかる時間を短くすることも期待できます。

3 自律訓練法の方法

 具体的なやり方は、自律訓練法や自己催眠術などの本に書いてあります。
 心のなかで唱える言葉は、次のようなものです。

 準備 落ち着いている
 1 手足が重い
 2 手足が温かい
 3 心臓が打っている
 4 呼吸が楽だ
 5 お腹が温かい
 6 額が涼しい

です。
 ここで重要なことは、身体と気持ちがリラックスすることです。言葉を繰り返すことが目的ではありません。
 リラックスした状態を感じるまでに時間がかかります。リラックスを感じる方法は、自律訓練法だけではありません。筋弛緩法、座禅、断食、お香、映画鑑賞、音楽鑑賞など、リラックスできるものの相性は人によって変わると思います。リラックスの状態を知るには、自分に適したもので体験するのもいいかもしれません。
 例えば、怖い映画を見ているときは身も心も縮みます。映画のストーリーが円満解決で終了した後、心身ともに緊張から解放され、安堵感とくつろぎを感じることがあります。この時に、体と気持ちがリラックスしていることを意識することが大切だと思います。リラックスした状態を覚えておきます。そして、記憶の感覚を再現させ、心身がリラックスできるようになることが目標です。
 しかしながら、自律訓練法の言葉を使います。身体と気持ちの両方がリラックスしやすい方法だからです。また、時、場所、目的物などに影響を受けにくいからです。

4 自律訓練法とセルフコントロールのステップ

 自律訓練法とセルフコントロールには、ステップがあるように思います。大きく3段階に分けられると私は思っています。

 ⅰ 自然な状態
 ⅱ 意図的な状態
 ⅲ 現実的な状態

です。

 体調が悪いときはまず正常な状態に戻すことが必要です。最終的には、自覚と自らの意志により体調を管理できることが理想です。感情をどのように扱うのかが問題です。
異常な状態は、感情が引き起こしていることがあります。その感情は、その人にとっては自然なことであっても、生命体にとっては危機であるかもしれません。人によって思考方法が違うように、感情も人によって違います。思考方法も感情も方向性を持っています。何らかの衝撃がない限り、その方向性は変わりません。食生活や身体動作も一定の方向性を持っており、異常を生じた場合、生活習慣病になります。方向性を持った感情も、食生活などと同じで習慣性に近いといえます。ですから、生命体に危機を与える感情は、生活習慣病と同じだと思います。生命体に危機を与える感情から、安心を得られるような感情に、方向を変える必要があります。そのために自律訓練法とセルフコントロールを使います。

 「ⅰ自然な状態」は、人が生まれたときの状態です。人に本来備わっている心身の機能を初期の状態に戻すことです。例えば、自律神経の交感神経と副交感神経の作用を生まれたときの状態にすることです。胎児から赤ちゃんまでの状態です。感情や知識をあまり得ていない状態です。練習するときは、何も考えることもなく、何も感情的なこともなく、何も思い出すこともない、赤ちゃんのような状態を作ります。居心地のよい、自然に守られた状態。自然に依存した状態ともいえます。
自然な状態である、そうなっているように言葉を唱えます。「腕が重い」で、「腕が重くなる」とか「重くなれ」などの意図的な唱え方は、効果が期待できません。できれば、身体と気持ちを区別して、リラックスするようにします。
この状態は、恒常化した緊張をほぐす効果が期待できます。a健常者以外の人は、ここからはじめる必要があると思います。自分の異常を改善できたら、ⅱを練習します。

 「ⅱ意図的な状態」は、2つのことがあります。1つは、自分の身体と気持ちがどのような状態なのかを自分でわかるようにすること。もう1つは、その状態に対して、適切な処置を自分ができるようにすることです。ⅰは依存的ですが、ⅱは独立、主体的です。自律訓練とセルフコントロールが混ざった状態といえるかもしれません。
 肩が凝ってきたり、焦って作業が空回りしたり、その兆候や、症状の直近、直後に、その状態を自覚します。そして、身体のどこが緊張して、気持ちがどのような状態なのかを探ります。原因を取り除いたり、症状を和らげる処置をします。処置は、必ずしも自律訓練法と限る必要はないと思います。
 言葉も、「腕よ、休め、リラックスせよ」いうように、指示を出すようにします。どのようにすれば、自分の身体と気持ちがどのような状態になるのかを意識します。そして、それらを覚えて、必要なときに必要な状態を作り出せるようにします。この時は、身体と気持ちは区別して練習します。
 自分が、身体や気持ちと対話するといってもいいかもしれません。
 「b何らかの目的を持った人」は、ここから練習を始めればいいと思います。
 これらができるようになってきたら、ⅲの練習を始めます。

 「ⅲ現実的な状態」は、自律訓練法を実際の場面で使うことです。
 自律訓練法はリラックスした状態で練習をします。その結果、体調が回復したとしても、実際の場面で十分に活動ができるとは限りません。現実は、喧騒(けんそう)と緊張があるからです。これらに対処できるようにすることが必要です。ⅱで自分の体調を知り、調整する感覚を覚えました。これを応用します。ほぼ、セルフコントロールという感じだと思います。
 仕事中、違和を感じたときに、その原因が、心身のいずれか、両方から来るものかを探ります。原因を特定しながら、問題の部分を和らげていきます。気持ちの問題であれば、原因を探り、感情の方向を変えます。
 例えば、提案書を作っていたとします。その時に、目がチカチカしてきました。肩がカチコチに凝っていることに気づきます。その時に、原因を探ります。元々、焦る性分で肩に力が入ると気づきます。少し休憩をとり、肩をほぐします。再開したとき、肩を下げ、ゆったりとした気分で作業をしていきます。このときに、自律訓練法で感じたリラックスを身体と気持ちに再現します。言葉を使うのではなく、思うだけでリラックスするようにします。どのようにリラックスするのかは、自分のやりやすい方法でします。作業を進めるにつれ、身体がほぐれていくようにします。時間に余裕があるときに、なぜ焦る癖があるのか根本的な原因を探ります。学生時代に、何かにつけて「遅い」と注意され、恐怖を感じていたとします。セルフコントロールにより、その恐怖を緩和するように、感情の方向を変えるようにします。ここでは2つのことをしています。1つは、スポーツと同じように、肩が凝らないように実践していること。もう1つは、根本的に、問題の感情が起こらないようにすることです。
 仕事やスポーツなど実際の場面で、自律訓練法とセルフコントロールをすることで、効果を大きくする可能性があります。ⅱまでは、畳の上の水練に近いと思います。ⅲは実際の場面ですので、色々な環境や人物との接触など、その時々に応じた対応が求められます。ⅱで、十分に身体や気持ちを把握し、コントロールする練習を身につけておく必要があると思います。
 ⅱは独立、主体的ですが、ⅲは共存的です。生きていくのは自分だけではありません。環境、人間関係などと自分が付き合うことになります。
 職場やスポーツなど特定のことに絞ることで、いっそうの効果を期待できます。仕事中は仕事中で、家では家でというように、それぞれで余分な緊張がないようにするということです。認知行動療法に近い方法かもしれません。
 ⅲの場合においても、独立、主体的であるべきです。自他共に独立してこそ共存関係が成り立ちます。
 ⅲの段階であっても、ⅰ、ⅱ、ⅲを必要に応じて使います。

5 自律訓練法とセルフコントロールの構造

 身体と気持ちを区別することは、容易なことではありません。身体と気持ちについて考えたいと思います。自律訓練法とセルフコントロールについて、関係するものをあげてみると、だいたい以下のようになると思います。

1 身体
2 自律神経
3 外界の認知
4 知識の獲得
5 思考
6 感情
 a 興味、希望など知的なものに関わるもの
 b 喜怒哀楽、憎悪など本能に関わるもの
 c その他、無感情など

 感情はあらゆるところに作用します。感情が身体に影響を与えたり、身体の異常が感情に影響を与えたりします。感情は、それぞれと相互に影響し合っています。また、感情が身体に影響を与え、その身体の影響から感情が影響を受けるという反射的な作用もあります。感情とそれぞれは複雑に影響を与えあっています。感情と感情が影響し、身体などに影響を与える場合もあります。しかし、内分泌異常や臓器の損壊などの異常を除けば、体調の異常は、感情が主に原因かもしれません。
 感情が極度の緊張をもたらし、自律神経を失調させることがあるそうです。考え方によれば、感情をコントロールすることで、自律神経を安定させることができる、かもしれません。
 自律神経を変動させるものとは何でしょうか。生命にかかわることではないでしょうか。実際に恐怖に直面すると、心臓がどきどきしたりします。しかし、現実に直面しない場合でも、感情が生命を脅かす恐怖と受け取れば、自律神経に影響を与えると思います。自律神経に影響を与えているものの1つに、感情があると思います。
 自律神経に強い影響のある感情とは、ⅱの喜怒哀楽、憎悪にかかわるものだと思います。
 怒・哀・憎悪は、生命の喪失の方向だと思います。他人から理不尽な扱いを受けたとき、怒りを感じます。これは、自分の生命を脅かす恐怖を感じるからでしょう。親しい人と分かれて哀しいのは、信頼と安心を失うからでしょう。「恐怖」、「不安」、「信頼の喪失」は、生命に危機を与えていると思います。
 感情と感情がぶつかりあって、体調に異常を引き起こすことにも注意が必要です。興味を持ったことが、自らの生命にかかわることで、命を脅かす恐怖を持つことなどです。病気について調べていると、自分にはその傾向があり、将来発症するのではないか、というものです。発症すれば、生命を失うかもしれません。想像したことを現実に起こるかのように感じてしまうことです。
 一方、喜・楽は、生命への信頼、安心させる方向にあるといえます。自分が役立つ人間であり、仲間との信頼や安心を感じると思います。
 感情の中でも生命に影響を及ぼす、ⅱ喜怒哀楽と憎悪には、注意を払う必要があります。この感情が影響すると、深刻な状況になりやすいと思います。

 セルフコントロールをするには、自分がどのような状態なのかを知る必要があります。その上で、改善できる対策を考える必要があります。自分の気持ちを知ることが必要ですが、困難なことです。しかし、自律訓練法のステップⅱ意図的な状態を感じるようになれば、原因に近づけるかもしれません。
 感情の中でも、ⅱの怒・哀・憎悪に類するものを感じており、何らかの恐怖、不安を感じているのなら、要注意です。さらに、恐怖、不安をどうして感じるのか知る必要があると思います。
 例えば、大勢の前で話をすると、緊張のあまり声が上擦(うわず)り、思わぬ失敗をすることがあります。どうして緊張したのでしょうか。恥をかきたくないと思っているからでしょうか。この場合、人から信頼を失うという感じ方をしているかもしれません。自分が人から見放され、生命存亡の恐怖につながっているのかもしれません。
 では、喜・楽の場合はどうでしょうか。自己の功績をやたら吹聴(ふいちょう)し、本人は満足しているかもしれません。しかし、聞いている方は、自慢話にうんざりし、生命の危機感を募らせているかもしれません。一人悦に入っているが、本人は孤立するかもしれません。
 個人と集団にとって、このような感情は、よいものとは考えられません。恥をかくのは嫌だけれども、恐怖まで感じたりしないこと。喜びのために、他人に生命の危機を感じさせないことだと思います。
 分析したことが核心をついていれば、自分で納得できます。そして、その感情をコントロールする必要があります。恐怖や生命の存亡を感じたり、思ったりしないようにです。恥をかいたとしても、ダメージは少ないと思います。ダメージの大小を決めるのは自分の感情です。これらの感情を起こさないように立ち向かう必要があります。自分と感情との戦いです。
 ここで、自律訓練法のステップを考えます。「ⅰ自然な状態」は感情について何もない状態を作るので、この恐怖を感じにくくさせます。「ⅱ意図的な状態」は、自分の状態を知り、意図的に恐怖を感じにくくさせます。「ⅲ現実的な状態」は、自分の状況を分析し、対策を考え、対処することになります。いずれの段階でも効果があることになります。

6 自分でするのか他者にしてもらうのか

 自律訓練法とセルフコントロールの考えから。
 「ⅰ自然な状態」は、自分で練習しても、他者にしてもらっても効果があると思います。心身が自然な状態になればよく、人の意志を必要としないからです。その人にとって自然な状態を感じやすければ、自己か他者かのいずれでもよいと思います。問題があるとすれば、依存のことです。他者に依存する傾向を避けるべきだと私は思います。自分でするのと他者とでは、人の性格によって習得に違いが出るかもしれません。
 「ⅱ意図的な状態」、「ⅲ現実的な状態」は、自分でするべきです。自分の意志で行うからです。自分で気づいて対策を考え、処置をするのです。生きるのは自分なのですから、自分でするべきです。

7 自律訓練法とセルフコントロールの効果

 自律訓練法とセルフコントロールの効果は、目的に向かって自分の力を十分に出し切ることです。自律訓練法は、緊張を取り除くことで、自分の持っている能力をだせるようにしています。余分な緊張を取り除き、身体と感情のバランスを最適化します。セルフコントロールは、目的を明確にして、身体と感情のバランスを最適化しています。昂(たか)ぶったり緩みすぎた感情を最適化し、心身の調和を図ることにより、自己の能力をだせるようにしています。
 例えば、スポーツの試合で、持っている能力を出し切れない場合。自律訓練法は、緊張を緩めてやることにより、自分の思いどおりに身体を動かすようにします。セルフコントロールは、緊張を自覚し、そのスポーツに適した形で、身体を動かすようにすることだと思います。
 自律訓練法は、緊張の緩み具合を調整するのが難しいように思います。緊張が緩みすぎると、効果的な動きができなくなります。セルフコントロールは、緊張の最適化を図りやすいと思います。

8 自律訓練法とセルフコントロールの限界

 自律訓練法やセルフコントロールにより、スポーツの試合や試験で成果をあげられるかもしれません。しかし、この成果は、自分が持っていたものをだせるようにした結果です。身動きのとりづらい窮屈な服から、動きやすいものに変えただけです。苦手意識のある教科について、苦手意識という抵抗を少なくし、今まで見てこなかった内容を見られるようにするだけのことです。能力や実力がついたというわけではありません。DHA(ドコサヘキサエン酸〔docosahexaenoic acid〕)は頭をよくさせると、はやったことがありました。しかし、勉強しないと成績はあがりません。それと、同じことなのです。能力や実力をつけるためには、実際に、練習や勉強したり、練習試合や模擬試験などを経験する必要があります。しかし、その時々において、心身のコントロールができれば、練習や学習の習得度合いとスピードは向上すると思います。
 心身のコントロールが最適になって努力しても、全体の順位があがらないことが考えられます。この訓練は、競争を勝ち抜くためにやっているのではないということです。自分のだせる能力を100%に近づけるようにしているだけです。他人と比較するものではありません。
 また、才能を開花させることはあっても、才能をつくることはできないと思います。才能は、先天的なものです。または、何らかの衝撃による変異がなければ、発生しないものと思います。むしろ、自分にどのような興味や才能があって、どの程度なのかを教えてくれるのが、この訓練ではないかと思います。何らかの選択をするとき、自分にとって満足度の高い答えを得られるのではないでしょうか。

【2014年3月24日追記1】
 自律訓練法やセルフコントロールで性格を変えられるか、ということが気になります。何らかの強い衝撃による変異か、長年の環境による変化でないかぎり、性格が変わることはほとんどないと思います。いっときの自律訓練法などの技法により得られるのは、性格を変える可能性のある、何らかの気づきや習慣です。それを契機に徐々に性格が変わることは期待できます。
 性格を一瞬に変えられるとしたら、人は、個人に価値はなく、頭数と個人の処理能力の問題でしかないでしょう。社会で、メンタルヘルスの不調を訴える人は、存在しないはずです。また、精神の異常状態、錯乱状態や異常な興奮なども一瞬に解消するはずです。
 自律訓練法などの技法は、感じ方、考え方などの方向を変えることにより、直面する環境に対応しているに過ぎません。役者が劇で割り当てられた役を演じるようなものだと思います。根本的に性格が変わったわけではありません。個々の人を生かすには、個人が性格に合った環境に身を置くか、組織や社会が個々人の性格に合った状態を作るのがよいということになります。
 「性格」と「感じ方や考え方」は、同じものだと思いがちです。「性格」から「感じ方や考え方」が来ていると思うからです。しかし、大部分の感じ方や考え方は、習慣より形作られたものです。家庭や人間関係、学校教育、社会習慣などによりです。ですから、「性格」と「習慣の感じ方や考え方」を区別できるということです。そして、「性格」と「感じ方や考え方」を区別できるならば、満足度の高い人生を歩む可能性が高くなるということです。
 「性格」と「感じ方や考え方」の区別をする技法が、自律訓練法やセルフコントロールということです。
 蛇足になりますが。表面的であり形式的な技術的の部分については専門家の指導を受けた方がいいと私は思います。しかし、「性格」と「感じ方や考え方」を区別するという実質的な中身の実践については、自分でするほうがいいと思います。人は一人一人「性格」が違います。「感じ方や考え方」も、全く同じ人生を歩んできた人でなければ、同調できないでしょう。そのような人は自分以外にありません。他人に、「どう感じるのか考えるのか」を聞くなと言っているのではありません。「この人はそう感じるんだ」と思うのは人として自然なことで、自分を客観的にみる場合に参考になります。しかし、他人の「感じ方や考え方」を基に、自分をコントロールしてはいけない、と言いたいのです。あくまでも、自分の「性格」に基づいた、「感じ方や考え方」をするべきです。これは、個人の内面的なことです。これをそのまま他人との人間関係や置かれた環境に持ち込むと、我がままにしか受けとられません。何らかのトラブルの原因になる可能性があります。自己の問題と外部の関係をしっかりと区別しておく必要もあります。
【以上、2014年3月24日追記1】

 「ⅲ現実的な状態」は、現実に即してセルフコントロールをするものです。しかし、コントロールするといっても、ただ、感情だけでは十分な対応はできません。スキルや経験が必要になってきます。技術、様々な感情、いろんな考え方を知る必要があります。
 例えば、読んだ本の中に禅のことが書かれていました。座禅をして心身を整えますが、そのほかに、公案があります。公案は、自分の考え方からより広い考え方や感じ方へ修行者を導くようです。自分を客観的に見ると同時に主体性を強くしているように私は思います。

【2014年3月24日追記2】
 ドロシー・ロー・ホルト氏の『子ども』という詩があります。この詩をよむと、自分の性格や人間関係などを考えさせられます。『子ども』という詩ですが、人間の性格が変わるということを前提にすれば、『おとな』にもあてはまる内容だと思います。「子ども」にあたる部分を「おとな」に置き換えて読んでみると、自分や、自分の家庭や職場環境がどのような状態であるかを知る手がかりになりそうです。
【以上、2014年3月24日追記2】

 セルフコントロールに足りないのは、この部分です。セルフコントロールをしつつ、公案を考えるのもいいかもしれません。仕事の技術を向上させることも大切なことです。しかし、自分とは、人とは何か、を考えることだと思います。いろんな考え方を、書物をみたり、人から聞いたりして、自分で考えることだと思います。セルフコントロールは、技法に過ぎません。本当に、人間性というか感情というか、それが豊かになれば、自律訓練法などの技法は必要なくなる、と私は思っています。

9 自律訓練法の将来的展望

 自律訓練法やセルフコントロールは、自分の心身を管理する技術ともいえます。心身を最適な状態に保っていれば、病気になりにくいと私は思います。しかし、万一、自分の心身に違和感があった場合でも、その異常がどの程度なのかがわかるのではないかと思います。これにより、早期発見、早期治療をすることができます。また、病気になった際も、これらの方法を使い、効果的に自然治癒力を活用できるかもしれません。病巣に免疫力を集中できるようになるかもしれません。

10 私の体験

 私が自律訓練法を始めたのは、20年以上も前のことです。知人から教えてもらった『自己催眠術』(平井富雄氏著、光文社・カッパブックス)を読んで練習しました。当時、周囲に心療内科はなく、精神神経科で自律訓練法を教えてくれるところもありませんでした。本を読んで独習しました。
 独習でありながら、半年くらいで私の体調はよくなりました。苦しんだ日々がウソのようで、あらゆる可能性を信じられるような気がしました。分厚い雲を通り抜けて、限りなく透明な青い空に引き上げられるように感じました。脱皮する、一皮むけた、生まれ変わったような、の感じになりました。
 体調が安定してから現在に至るまで、何かあったときに自律訓練法をしています。一度感覚をつかむと、しばらく時間がたっても、その感覚をすぐに思い出すことができます。
 ステップのⅱまでは、経験上つかんでいました。しかし、ステップⅲがあると感じたのは、読んだもの№11のA・ミアース氏の『自律訓練法』を読んでからです。また、人の感情の中にも区別するものがあると感じたのも、この本です。私が独習した『自己催眠術』の催眠の意味を初めてわかった気がしました。

 私が経験した中で、記録しておきたいことを記したいと思います。
 雑念にどう立ち向かうか。
 この場合、思い出したり、連想することをやめようと思わないことです。自律訓練法を中断し、自律訓練法の姿勢を保ったまま、思い出したり、連想するにまかせることです。思い出したり、連想するには限りがあります。それほど、思い浮かんできません。そして、重要だと思えることはメモをとっておくことです。しかし、それでも、次から次へと出てくるようなら、完全に中止し、時間をおいて、再度、練習する方が楽な気持ちでいられます。
 完全に頭の中から、考え事をなくすのは難しいことです。ほとんど不可能に近いかもしれません。このときに、元々自分が完璧(かんぺき)な人間かどうかを考えたことがあります。答えは、あり得ない、でした。欠点や、ある特徴、嫌だとか好きだとか思う点などのすべてをひっくるめての自分なのです。自分以外の人間に宿替えできるわけでもありません。そんな自分を受け入れざるを得ません。ですから、自分に理想を求めるのをやめることにしました。今ある、そのままの自分で、そのままの状態で、練習しようと思うようになりました。「この自分でいいのだ。これでいいのだ」と。すると、何かから解放された自由な気持ちになったのを覚えています。雑念が少々あっても気にせず練習できるようになったのを覚えています。また、練習が進むにつれ、雑念も少なくなっていったように思います。

 ダイエットについて
 減量の方法として食事の調整は重要です。栄養素、カロリーを十分配慮する必要があります。スポーツなど身体を動かすなどして、健康を維持向上させることも大切です。その上で、空腹をいかにやり過ごすかが問題となります。
空腹のときに、自律訓練法で「お腹が温かい、豊かだ」「お腹が温かい、気持ちが満たされている」などと唱えるとしのぎやすくなります。「食べ物は嫌いで食べられない」とか、「胃が食べ物を受けつけない」などの言葉は、私の経験上おすすめできません。なぜなら、食べ物を嫌いになる理由がないからです。拒食症や、反動で過食症になるかもしれません。
私の場合、「ゆたか」と「気持ちが満たされている」は、効果がありました。

さいごに

 人が健康を保つには、信頼、安心が大切です。それは、人が生存するうえで必要なものだからです。自律訓練法やセルフコントロールは、個人で健康を回復、維持するものです。人によっては効果のあることもわかります。しかし、これらの技法を必要としないようになればいいと思うことがあります。よく働き、よく休み、よく遊び、よく寝る。生活様式や感情などの一部分に偏ることなく、バランスのよい生活をすることです。気持ちの切り替えも上手になると思います。その結果、健康を保つことができると思うからです。
 しかし、個人で健康を保つには限界があります。自分に不適当な環境で、いくら技法を駆使しても、健康を保てるとは言い切れません。むしろ、技法を使う前に、自らに適した環境に身を移した方がいいかもしれません。しかし、そのような環境は、なかなか見当たらないと思います。
 人は集団で行動する生き物です。より強い組織を求めるならば、今ある会社やチームなどの組織構造と役割制度、そこで動く個々人の意識と行動を変える必要があります。「あいつは役に立たない」という言い方は、人を物や道具と見て扱っています。言った人も、言われた人も、自分が物や道具であると意識することになります。絶えず、危機感にさいなまれた状態になると思います。
 また、本当に「役に立たない」のか、冷静に考えてみる必要があります。同じものを見ても、人は感じ方がそれぞれに違います。さらに、同じ人生を歩む人は一人としていません。利益を追求する面からみると、「役に立たない」と思っている人は、消費者であり、利益をもたらしてくれる人でもあるのです。その消費者の感じること考えることは、利益に直結しているともいえます。「役に立たない」と思っている人から、その人しかない価値を組織が引き出せないだけとも思えます。
 転んで動けない人に、通りがかりの人が「だいじょうぶですか」と近寄って声をかける光景を目にすることがあります。困った人に近寄って声をかける行為がどのような意味を持つのか、最近になるまで、私は理解していませんでした。自分が転んで声をかけられるのを恥ずかしいと思っていたからです。また、自分が声をかけても何もできないと思っていました。しかし、この声かけは、相手の存在を認め、仲間だとの意識を持たせてくれます。そして、声をかけたほうも、声をかけられたほうも、信頼と安心を感じることができるのです。ですから、「役に立たない」と思う人は、実はそこにいるだけで「役に立っている」ということになります。自分より「役に立たない」人がいるから、価値のある自分は安心だ、という意味ではありません。利益や理屈などを抜きにして、本能としての信頼、安心を得るということです。
 信頼と安心を感じられる家族、団体、会社などは、自律訓練法などの技法は必要ないと思います。一人一人がお互いに、認め合い、信頼し、安心していられるからです。人の持っている、ものの見方、考え方を自他共に認め合うこと、そして、力を合わせることです。子供だからといって話をしない人もいるようですが、枠にとらわれない感性は目を見張るものがあります。
 人間の持つ本来の本能をないがしろにしてきたために、個人や集団は、質の悪い社会生活を営んでいるように、私は思います。この社会生活は、人間の精神面の成長を妨げ、未熟な人間を増加させ、さらに劣悪な社会へと向かっているようにも思います。
 かけ離れた内容だと感じるかもしれませんが、人にとって何が必要なのかを考えさせられた自律訓練法でした。
 偉そうに自分の考えを書きましたが、私ができているかというと、そうではありません。あくまでも、本を読んで経験と照らし合わせて、感じたり考えたことを書いたに過ぎません。さらに経験を積むと、将来的に内容が変わることは大いにあると思います。

 以下余白

更新記録など

2014年3月22日(土):アップロード
2014年3月24日(月):追記1、2
2014年3月25日(火):再アップロード
2016年1月15日(金) : レスポンシブ様式に改装