睡眠について
睡眠について、№5~№8『脳が冴える快眠法』、『脳も体も冴えわたる1分仮眠法』、『あなたの人生を変える睡眠の法則』、『日本睡眠学会ホームページ』を読んだので、私なりにまとめてみたいと思います。また、自分の経験と照らし合わせて、どうすればよく寝られるようになるのか考えてみました。
Ⅰ №5~№8のまとめ
読んだ本には、いろいろなことが書いてありました。睡眠を考えるうえで、私が大切だと感じたことをまとめてみました。
- 睡眠についてわかっていないことは多い。
- 睡眠は、個人差がある。
- 年齢、体調、環境などにより、睡眠時間などが変化する。
- 睡眠日誌は効果がある。
- 概日リズムと深部体温リズムを理解する。
- 昼食後の短い睡眠は、主睡眠の質を向上させることがある。
- 認知行動療法は睡眠障害の治療に効果をあげている。
- 脳波が深い睡眠を示しても、満足度を得られるとは限らない。
- レムとノンレム睡眠、最も深い睡眠段階でも夢をみる。
- 睡眠中の脳は、意識がなくなっているわけではない。
- 呼吸は大切。
- 自律神経に注目する。
Ⅱ 睡眠の具体的方法
寝るのを分けると、①寝入り、②睡眠中、③目覚め、の3つになると思います。特に、寝入りは重要で、これがうまくいくかどうかで、満足度は違ってきます。しかし、寝るにも基本的なものがあるはずです。満足度を高めるための方法について考えてみました。
1 寝る方法
寝ようと思って寝床に入ります。
寝る姿勢を取ります。
全身の力を抜きます。
目を静かに軽く閉じます。
考えたり思ったり思い出したり感じたりする脳の活動をすべてやめます。
静かにゆっくりと呼吸をします。
息の流れを感じるようにします。息の流れだけを意識(集中)します。
以上が、私がいいと思う寝る方法です。
生命にかかわる部分以外、脳を働かせないことです。脳と体の、修復、復活、作製が寝ている間に行われていることを理解します。脳を何もない、真っ白な状態にするのがよいと思います。場合によっては、その作業を想像したり、経験した熟睡の感覚を、実際の睡眠に重ね合わせながら寝ます。それにより、熟睡度をあげ、満足を得られやすくなると思います。
たとえば、寝入りのときは次のように体験したことを、今あたかも起こっているかのようにイメージします。体が徐々に沈み意識がどんどん吸い込まれ、どんどん深く深く沈んでいく感じ。寝ているときは、深い深いところで、その状態が長く長く続き、安らぎを楽しんでいる感じ。起きるときは、徐々に体と意識が浮き上がっていくとともに、脳と体にエネルギーが満ちていく感じ。などです。
身体と脳の力を抜くことで、脳の神経細胞に与える刺激を少なくします。この状態は、脳や体を十分に休ませることができます。目は刺激を敏感に感じるところなので、静かに軽く目を閉じます。呼吸は腹式胸式などを意識しません。行動を意識すると、脳に刺激が生じ、寝づらくなります。呼吸は、自然に任せます。鼻から息を静かにゆっくりと吸います。そして、静かにゆっくりと鼻から息を出します。息はいつもどおりでいいのですが、静かにゆっくりとすることが大切です。息を止めたり、深呼吸をしないでください。息が、鼻腔、頭の中を流れていくのを感じます。鼻腔、頭の中を通る息の流れを意識し、息の流れに集中します。息の流れを、心地よく感じるようになれば、いいと思います。息の流れに、すべてを任せます。
呼吸は、海辺で、寄せては返す波のリズム。流れる息は、波音。返す波が海に吸い込まれていくように、意識が眠りに引き込まれていく感じ。そんな感じはどうでしょう。全体のイメージとしては、保養で、浜辺にいる。太陽の光は暖かく、心地よく額(ひたい)に風があたっている。波の音が、眠りに誘ってくれる。という感じでしょうか。
呼吸は重要な役割を果たします。自律神経を整えることです。静かでゆっくりとした、一定の、ペース、リズムの呼吸は、自律神経が脳の知的活動よりも優位に働くようなのです。脳に何も考えさせないというか安心を与えるような感じでしょうか。さらに、脳に何もさせない意識が、さらに、自律神経の優位を保つのに効果があるようです。
水枕をするとよく寝られることがあります。深部体温がさがったと脳が勘違いするのかもしれません。水枕が冷たすぎると、脳に刺激が走って寝られなくなったり、肩が凝ったりしてかえって寝た気がしないこともあります。氷の量、水の冷やし加減、タオルなどで温度調整をする必要がありそうです。寝る時はひんやりした感じで、起きるときには体温で暖かくなっている状態が、私にはいい感じです。起きたときに肩が冷えているときは、熱い飲み物を飲むと効果のあるときがあります。
睡眠が中断された場合、続けて寝るか、起きるかの判断に迷うことがあります。再度、寝る方法を試して、脳があれやこれやと考えていたら、起きるときだと思います。昼間に眠くなったら、「短い睡眠」や「5a練習」で対処すればいいと思います。
寝ている時は、ゆっくりと静かな呼吸を保つようにします。
起きるときは、仰向けでまっすぐに体をし、静かにゆっくりと目を開けます。ゆっくりと静かに深呼吸を1回から3回くらいします。息を脳の前から後ろに向けて流し、脳に息吹を送り込むイメージを持ちます。「息吹」は、新鮮な空気、エネルギー、活力などの感じです。次に、ゆっくりと静かに、腕と足を伸ばしながら背伸びを1、2回します。この時もゆっくりと静かな呼吸を止めません。トイレ、朝ご飯など、今からすることを考えます。意識がはっきりしてきたら、ゆっくりと静かに起きあがります。年をとるほど、起きるのに時間がかかる感じがします。
この方法は、簡単で負担がほとんどありません。書いた順に進める必要もありません。覚えることがほとんど無く、束縛される条件もありません。脳を刺激する言葉もありません。必要なのは、寝ようという意識だけです。そして、ゆっくりと静かな呼吸を続けるだけです。呼吸ですから、意識しなくても続きます。寝返りなども今までどおりでいいのです。
この文を書いている間、試してみましたが、よく寝られます。私には、この方法が合っているようです。
さらに、生体リズムを利用した睡眠を実践すれば、満足度の高い睡眠になると思っています。
2 日誌の重要性
睡眠を満足なものにするために、日誌をつけることは有効です。認知行動療法が不眠を訴える人の治療に実績があるからです。睡眠は個人差があります。平均、標準、偏差値などのデータは目安になっても、満足を得られる基準ではありません。自分に合った方法を見つけることが目的になります。そのためには、自分を観察したデータが必要になります。観察のデータを記録し、分析し、対処の方法を考え、実践し、結果を評価するために、日誌をつけます。自分の状態を把握でき、具体的な方法を考えやすくなります。
では、具体的にどのように日誌をつければいいのでしょうか。
私は睡眠中も精神活動ができると思っています。睡眠中の精神活動により、睡眠をコントロールできると思っています。スポーツと同じで、練習で、睡眠を向上させることができる、ということです。この視点から日誌をつけてはどうかと考えます。できるなら、生体リズムに関することも併せて記録します。
睡眠は、知的、身体活動など広い範囲から影響を受けます。1日のすべての行動について記録をつける日誌が有用だと思います。時間の経過に従って、出来事ごとに内容を記録することです。たとえば、運動をしたのであれば、X時X分からX時X分までジョギング、走った距離、場所、天気、感じたことなどを書きます。このデータの蓄積により、運動の種類と量や、体調、感情、環境などの睡眠に与える影響が、どのようなものであるか、わかることがあります。運動の量が多いと筋肉痛を起こして寝られない、などです。このデータから、睡眠をとるのに必要な、最適な運動量を調整することができるようになります。
起きたときに「よく寝た」と思えることがあります。この時の状況を詳細に記録することも大切です。寝入り、睡眠中、目覚めのすべてに満足できる場合は少ないかもしれません。どれか1つだけ、その中のわずかな部分だけでも、満足できた部分があれば、記録します。睡眠を邪魔したことについても記録します。必要なデータは、寝られたときの、状態、環境などを知ることです。
絶対してはいけないのは、寝るときや前に、注意を払ったり、記録することです。脳に刺激が走り、寝られなくなります。起きてから記録し、思い出せることだけを記録すればいいのです。思い出そうと努力する必要はありません。
寝入りについて、満足したと思える状態とは、どのような感じでしょうか。目を閉じ、しばらくすると、気持ちが体から離れるようで、だんだん遠のいていき、周りの音が無くなっていく感じでしょうか。それとも、体が徐々に沈んで行く感じでしょうか。いろいろあると思います。この感じているのが、寝入る時の「心像」と呼ばれるものだと思います。寝づらいときに、これを再現できれば、効果があるのでは、と私は思っています。
睡眠中も同じです。熟睡したと思えるときに、夢を見たのか見なかったのか。夕食に自分の好きなものを食べたとか、息が気持ちのいいくらい通ったなどです。
同じように、目覚めも同じです。いいと思えるときは、ゆっくりと底の方から気持ちが上がってくる感じ、などと記録します。手足が冷たくて起きるのがつらかった、とかです。そして、朝方、エアコンをつけるようにタイマーをセットしよう、などと記録に付け加えます。
日誌をつけることは、自分にとって満足度の高い睡眠に近づくこと、でもあると私は思います。
3 寝るための工夫
寝入る感覚を知りたくても、なかなかチャンスが来ないことがあります。どんなときに、眠くなるのでしょうか。眠くなったときは、許される範囲で、寝て、その感覚を積極的に覚えるようにしています。
聞いたり経験したことを思いつくままに書いてみます。
- 長い時間、外にいて、暖かい家の中に入いると、睡魔に襲われる。(冬)
- 野外作業の帰り、車中の助手席で、いつの間にか寝てしまう。(冬)
- 出張からの帰り、電車の中でいつの間にか寝てしまう。(主に冬)
- 差し込む太陽の光が暖かく、心地よくなり寝てしまう。(夏以外)
- 窓から入る風が心地よく感じられ、寝てしまう。(春秋)
- プールからの帰り、睡魔に襲われる。(夏)
- 首振り扇風機の風が心地よく、寝てしまう。(夏)
- 団扇(うちわ)の風が心地よく、寝てしまう。(夏)
- 風呂で湯船につかり、上がってしばらくすると、睡魔に襲われる。(年中)
- マッサージチェアでマッサージをすると、眠くなることがある。(年中)
- 足をマッサージすると、体が温かくなってきて眠くなる。(年中)
- 柔軟体操をしてうっすら汗をかくと、その後、睡魔に襲われる。(年中)
- 車、電車に揺られると眠くなることがある。(年中)
- 熱いお茶を飲むと、眠くなるときがある。(年中)
- 牛乳を飲むと、眠くなる時がある。(年中)
- 横になり、手足が温かくなり始めると寝てしまった。(子供時)
- おんぶされるとお腹が温かくなり、寝てしまった。(子供時)
- 親に手で体をトントンされると寝てしまう。(子供時)
まだまだ、思い出しそうです。
この感覚を再現して必ず寝られるか、というとそうではありません。
マッサージチェアで全身をマッサージすると、よく寝られることがあります。しかし、毎日同じことをして寝られるかというとそうではありません。風呂で長く湯船につかった場合もそうでした。私の場合、効果がはっきり感じられるのは、連続した場合2~3日くらいまでです。季節、体調などのこともあるでしょうが、どうも体が順応するようなのです。ヒトは、すぐに慣れてしまうのです。使う間隔を考えたり、状況を見ながら、眠たくなる手段を選ぶ必要がありそうです。
手、足が冷たいと寝づらいので、寝やすい状態にする道具も効果があります。水枕、足こたつ、加湿器などです。寝る環境を整えると、寝られるときがあります。寝やすくする道具を探し、準備することも必要だと思います。
4 寝るために
寝るためにどのようにすればいいのでしょうか。理想的なことを書きます。
できるだけ太陽の光を浴びながら、外で、体を使うこと。定期的に一定量の運動をします。合わせて、2~3回ごとに、違う筋肉を強化する運動をします。体全体の血と体液の循環がよくなるようにします。私の場合、定期的に運動をした場合、2日ごとの運動で最低限の効果を実感できます。
頭を使うこと。毎日、一定量の仕事をします。それに、読書、音楽など新しい分野に挑戦します。いつもの細胞を使うことと、新たな細胞ができるようにします。新しい分野への挑戦を毎日したり、1度にする量が多いと、かえって脳を刺激しすぎて寝られなくなると思います。少しずつ、適当な間隔を空けて挑戦します。習い事は週2回という感じで。
体操とマッサージ。運動と重なります。体の可動範囲を広げ、動きを円滑にします。1日1回、朝、起きた後ですれば、私の場合は十分です。午後の短い睡眠の前に手と足の指のマッサージ、後には、簡単な体操をします。入浴時に、体を洗うときは、タオル、ボディブラシなどを使い、肌に刺激を与え、血行をよくします。タオル、ボディブラシを使うのは、2~3日ごとの使用で十分です。道具を使って毎日洗っていると、肌が白くなることがあります。洗いすぎには注意が必要で、肌にかゆみを生じさせ、睡眠を邪魔することがあります。
入浴を夕食前に済ませるのが、私の場合効果があります。夕食を取ってしばらくすると、好奇心が和らぐのか、何もしたくない感じ、ただ起きているだけのような感じになります。風呂に入っていれば、いつでも寝られるという心の余裕もできます。
寝始める時間は、かなり寝たとしても、始業までに、自然に起きられるように設定します。ゆったりとした気分で寝られます。早く起きたとしても、自分の好きなことをすればいいのです。
夕食は、家族で一緒に食べるようにします。今日の出来事などの話をすることで、信頼を確かめ、安心を感じられるからです。テレビをつけていてもいいと思います。テレビの話題で話ができるからです。誰かが話し始めたら、できるだけテレビから話をしている家族に耳を傾けることが大切です。テレビより家族の方が大切なのですから。配膳、片付けなども家族ですることがあります。共同作業は、お互いが役に立っていると感じられるからです。役立っていると感じることで、信頼と安心を強く感じることができます。
寝る前は、パソコン、テレビを見ないことと、大きい音を聞いたり、強い光を見たり、その環境に身を置かないようにします。
できるなら、日頃から困っている人の手助けをすること。万一、「ありがとう」という感謝の言葉をもらえれば、うれしくなります。家族以外の人とつながったように感じ、世の中は安心できるところだと思えるかもしれません。
睡眠には、信頼と安心が必要です。
5 練習の方法
寝ている間も、精神活動ができると私は思っています。これは、睡眠中も自分をコントロールできるということです。練習で、よく寝られるようになるということです。
a 練習
服装を緩めます。ベルト、靴下、シャツのボタンなど、体を締め付けているものを、リラックスできるように緩めます。
姿勢は、仰向けにまっすぐに寝ます。体に当たらないように腕や足を置きます。胴体と腕の間隔は、手首の辺りで、こぶし1~2個分くらいの幅がいいと思います。手のひらは、上でも下でも斜めでもリラックスできればいいと思います。左右の足が当たらないようにします。胴体の外側がまっすぐになる感じで、足を置きます。左右の足の間は、足首辺りで、こぶし1から3個分くらいの幅になると思います。上の歯と下の歯が触れないように、あごの力を抜いて、少し隙間を空けます。リラックスできれば、細かいことに気を遣う必要はないと思います。
この姿勢をするのには理由があります。「訓練」と「普段の寝る」を明確に区別するためです。
次に、目を静かに軽く閉じます。ゆっくりと静かに呼吸をします。腹式胸式など気にしないで、自然に任せて呼吸をします。
呼吸が落ち着いてきたら、全身の力を抜いていきます。意識で力を抜いていきます。大きく手や足を動かしたりして、力を抜くことはしません。リラックスするための微調整はします。
右腕、左腕、右肩、左肩、右足、左足、首、胴体など、体の部分ごとに一つずつ力を抜いていきます。力を抜く時、力を抜く部分を意識します。そして、心の中でゆっくり落ち着いた感じで「力を抜け、休め」とささやくように、その部分に諭すかのように指示を出します。何回、心の中でささやいてもいいと思います。順番は書いてある順番でなくても構いません。体の力が抜けて、だるくなってきたと感じられたらいいのです。
次は頭です。頭部の力を抜いていきます。顔、あご、口、舌、耳、鼻、まぶたなど、最後に目の力を抜きます。最後に目をすれば、力を抜く順番は適当でいいと思います。力の抜き方は、体の場合と同じです。
最後に、脳の力を抜きます。脳の力をどうやって抜くのかですが、力を抜くというより、働かせないということです。何も、考えない、思わない、感じない、ようにすることです。心臓の動きや呼吸など生命にかかわる部分以外、脳を働かせないということです。体の場合と同じように「休もう。力を抜け、何も考えるな、思うな、休め」などと指示します。そして、そのようになるように努めます。頭の中を真っ白な状態にします。
呼吸のことです。鼻で息を吸って、鼻で息を出します。鼻から入った息が、脳の前の部分から後ろに向かって流れていくイメージをしながら、呼吸をします。骨と脳の間、脳のしわや隙間、溝など新鮮な空気が通るイメージです。息が、脳の老廃物を取り除いたり、新鮮な空気を届けたりするイメージをします。息の流れは、脳の前から後ろで一方通行のイメージです。息の流れが、後ろから前になりそうなときは、吐く息を口から静かにゆっくりと出します。
流れる息だけを感じるようにします。
そして、この状態をできるだけ長く続けられるようにします。
この続きで寝る時は、目を閉じたまま、寝ようという意識を持って、寝返りを打つだけです。いつもの寝る姿勢にして、上記の「1寝る方法」をするだけです。自分の姿勢に不安があるのなら、お腹の中の赤ちゃんのような感じの姿勢にしてもいいかもしれません。体を丸めすぎると寝づらいので、リラックスできる程度にします。寝る姿勢にしたときが、練習の終わりです。練習の状態で寝てもいいのですが、起きたときに体が痛くなることがあります。練習と日頃の睡眠とを区別するためにも、体の位置を少しでもいいので、変えたり、動かした方がいいと思います。
練習を終わり、起きる時は、目を開けます。見えるものを意識します。体の中心から、エネルギーが体の隅々まで行き渡るイメージをします。背伸びをして、ゆっくりと起きます。軽い体操をして、活動を始めます。
体の一部しか力を抜くことができないとか、どうしても頭に何かが思い浮かぶ、かもしれません。力が入っているところだけ、力を抜くだけでもいいと思います。どうしても頭に思い浮かぶのであれば、心が落ち着く景色や動物の仕草を思い描いてもいいかもしれません。とにかく、一連の流れをします。何回もするうちにできるようになればいいのです。
この練習は、細胞を修復などするための十分な状態を作ることが目的です。筋肉、脳の細胞の修復などを十分に効率よく行うためです。
この練習は、休息するためのもので、寝るためにするものではありません。脳と体の回復しやすい状態を作る練習です。眠くないが、休息をとりたいときに、この方法を使います。眠気がありすぐに寝られそうなときは、「1寝る方法」でそのまま寝たり、短い睡眠をとることです。眠気があるときにこの練習をすると、脳に刺激を与えることになり、寝られなくなることがあります。
b 力を抜いたときの感触をつかむ
実際に力を抜こうとすれば、これでいいのかと半信半疑に思うことがあります。私が育ち盛りのころ、力を入れることはわかるのですが、力を抜いた状態がどのようなものかわからなかったことがあります。握りしめた手を開いても、腕の筋肉がむずむずして力が入っているように感じられたからです。ヒトや年齢によって、力を抜く状態がどのような感じなのかをわかるのは難しいことかもしれません。
力が入らない、だるいなどの過去に経験したことを思い出し、再現しようと努めてはどうでしょう。力を入れて、力を抜く動作をして、力が抜けた状態を知ることもできます。筋弛緩法などもいいかもしれません。風呂の湯船に長くつかったり、マッサージ、ストレッチなどで、その感触を確かめられるかもしれません。
頭部の力をどうやって抜けばいいのでしょうか。顔は、顔の中心に目、口、ほおなどを思いっきり寄せます。次に、顔の中心から、め、口、ほおを離すようにします。そして、普通に戻します。鼻は、鼻の吸い込み口だけでなく、息の通り道、鼻の奥を広げるようにします。鼻の中に手を入れるわけにはいきませんので、できる範囲でやります。口は、大きく開けて、軽く閉じます。口を開けて、下あごをゆっくりと左右に動かします。歯をすりあわせて、歯ぎしりのように左右に動かすのは、よくありません。あごを外さないように気をつけます。目は、軽く、上下、左右、円を描くように動かします。静かにゆっくりとした動作で行います。
意図的にできないところは、手を使ってマッサージをするように、ほぐしていきます。蒸しタオルや、お湯につけて絞ったタオルを、顔などに当ててもいいと思います。肩の力を抜くのに、熱いお茶や白湯(さゆ)などを飲むと効果のあるときがあります。肩が冷たく凝っているときにいいようです。
脳の力の抜き方が、かなり難しいと思います。目的は、何も考えない状態を作ることです。人間は絶えず何かを考えています。寝ていても、時々、何かを考えていることがあります。何もない状態にするのは無理かもしれません。息の流れだけに集中させることで、他のことを思い起こさせないようにしてはどうでしょうか。また、心が落ち着く絵などを思い描くのもいいかもしれません。
c 短い睡眠
短い睡眠をとろうと意識して寝ます。「a練習」と同じ姿勢です。寝る方法は、「1寝る方法」と同じです。寝る時間をどのようにコントロールするのかが問題です。
睡眠中も精神活動をしていると私は思っています。日常生活をしていると、感覚として時間の長さがどのくらいなのかだいたいわかります。活性が低くても、精神活動をしているのなら、睡眠中であっても、時間の長さを感じられる、ということです。ですから、いつも寝るときのように、時計を見ながら、20分後に起きようと思うだけでいいのです。
短い睡眠で、どのようにすれば満足できる深い睡眠をとることができるのでしょうか。だんだん意識が遠のいて、一瞬意識がスウッとなくなるような感じになったとき、起きようと思うことです。いろんな感じがあって、意識が吸い込まれる感じがすることもあるでしょう。睡眠の経過を表した図があります。睡眠の第4段階やレム睡眠をグラフにしたものです。眠りに入る所から第4段階の一番眠りの深い所までを一直線にし、時間の経過を入れ斜線にします。第4段階の所から目覚めまでを一直線で、時間の経過を入れ斜線にします。結果として、V字になります。このV字を意識がなぞるように、眠るということです。
深い睡眠になると、精神活動より生体リズムの方が優位になるようです。深い睡眠に入る直前から直後の間くらいに、、意識しないと起きられないということです。深い眠りに入ってしばらくすると、生体リズムの優位により、約90分のサイクルになるということです。この場合、誰かに起こしてもらうか、目覚まし時計が必要になります。
寝返りをすると、生体リズムが優位になり、主に寝る睡眠になってしまいます。決まった姿勢にするのは、脳と体に、短い睡眠であることを認識し続けさせるためです。
起きるときは、「a練習」と同じようにします。
今までに、短い睡眠が成功したと思えるのは、数回しかありません。しかし、このたび、睡眠についての考え方が変わったので、新たな展開があると期待しています。
d 活動する前に
睡眠とは違うのですが、何かを始める前にすると、いいと思うものがありました。いすに座っていても、立っていてもいいのですが、次のことをします。
無駄な力を入れない姿勢にします。背筋を伸ばし、両腕を垂らした状態です。静かに軽く目を閉じます。何も考えないで、頭の中を空っぽにします。姿勢がなじんできたら、鼻で息をゆっくりと静かに吸います。息に合わせて、両肩を同時にゆっくりと静かにあげます。両肩は無理のない程度に上まであげます。息を吸いきったところで、両肩の動きを止めます。口で息をゆっくりと静かに吐きます。それに合わせて、両肩をさげていきます。両肩は無理のない程度に下までさげます。肩は、力の抜ける状態の位置です。さげすぎると反対の力が入ってしまいます。息を吐ききったところで、両肩の動きを止めます。肩の力が抜けてきたら、肩をさげた状態のまま、鼻だけで、ゆっくりと静かに呼吸をします。息の流れに意識を集中させます。息は、脳の中を前から後ろに流れるイメージで行います。気持ちが落ち着いた状態が安定し始めたら、目を開けて、活動します。安定しない場合でも、適当に切り上げて、活動を始めます。
両肩をあげるときは胸式呼吸でも構いませんが、さげるときは腹式呼吸にします。両肩をあげるとき以外は、すべて腹式呼吸をします。両肩のあげかたは、腕や肩などできるだけ力を抜き、体側にできるだけ平行に上下します。両肩をすぼめないようにします。そのため、両肩は、すぼめたときほどあがりません。両肩の力を抜いて、下におろすのが目的です。肩を上から下に瞬間的に落とすやり方もありますが、反動により筋肉が緊張することがあります。筋肉を刺激すると脳に刺激を与えることになります。
これをする目的は、頭に流れる電気をできるだけ止めることにあります。何かをしようとする神経細胞のみに電気を流し、必要に応じて他の神経細胞と柔軟にすみやかにつながるようにするためです。気分転換を行い、脳を初期状態にすることです。寝るのと直接の関係はありません。集中できるようにして、余分な疲労を作らないようにします。寝ることに集中できるようにするためでもあります。寝るにも集中力が必要です。
もう一つは、軽く目を開けて、力を抜いて景色の特定のところを見ながら、同じようにすることです。景色の色々なところを見ると、目を動かすことになり、脳を刺激することになります。現実の景色を見ながら、何も考えない、脳を働かせないことです。目に見える刺激に影響を受けることなく、集中できるように練習するということです。外界から入る刺激に左右されないようになれば、集中を持続できるようになると思われます。平常心を訓練できる、ということです。ヒトの活動は、目を使うので、現実的な訓練だと思います。
活動しているときは、このやり方と同じように、鼻でゆっくりと静かに呼吸します。
Ⅲ 睡眠と脳の働き
最初に、まとめを書きます。その方が、書いてある内容をわかりやすくすると思ったからです。
まとめ
- 睡眠とは、脳と体の細胞の、修復、復活、作製などの積極的行動である。
- 睡眠中でも精神活動をしている。
- 睡眠と覚醒の違いは、精神活動の高低である。
- より深い睡眠をとることができるように、訓練することは可能である。
以下、本文。
脳は、神経細胞とシナプスにより脳を働かせているそうです。神経細胞は電気により、他の神経細胞への情報はシナプスにより伝えているそうです。脳の働いている所に多くの血が流れるのは、電気を流したり、シナプスをつなぐのにエネルギーが必要だからでしょう。血流量や脳波の検査は、脳の状態を知るのにいい方法です。また、発見された睡眠物質が、睡眠にどのような役割を果たしているのかを知ることも大切です。さらに、脳の神経細胞一つ一つの電気の流れを立体的に知ることができれば、睡眠について新たな発見があるかもしれません。
a 夢と精神活動
夢を見ているときヒトの脳は、どの部分が活動しているのでしょうか。フロイトは、無意識を探るために夢を分析したようです。しかし、すべての夢が対象になるのではなく、潜在意識にかかわるものかどうかを判断し、見た夢の取捨選択すると聞いたことがあります。
夢はどこから来るのでしょうか。今まで見たもの、経験したことなどが考えられます。記憶から夢が作られるとすれば、ヒトの記憶の範囲は広く、データを長期間保存していることになります。ヒトは、あるものを見るとき意識して見ます。そして、しばらくは、データをよく覚えています。しかし、見たこともないような映像の夢を見たとき、それらは、意識してみたもの以外の一緒に見えていたものかもしれません。ヒトは、見えているものをすべてデータとして脳に保存しているのかもしれません。そして、忘れたと思っていても、データは、引き出されないだけで、保存された状態のままかもしれません。
物語風の夢があります。これは経験によるデータの再現なのでしょうか。私が覚えていた夢で、現実に経験したことを忠実に再現していると感じたものはありません。夢を見ている間は、現実のように感じていますが、全くの創作なのでしょう。現実に起こった映像を再現するには、目が覚めた状態で、目を閉じた状態のほうが思い出しやすいように感じます。デジャ・ビュ(既視体験)は、ヒトが夢で創作したことを覚えており、全部または一部が現実に重なり合ったときに感じる体験ではないでしょうか。ヒトの想像したことは、現実に遭遇する可能性が高いと思います。なぜなら、同じ人であれば、実際の行動と想像した行動は同じになりやすい、と考えられるからです。このような夢は、予定を立てるときに、映像としてシミュレーションをする感覚に近いのではないでしょうか。それにより、本能的に将来の予測をし、自己防衛などをヒトはしようとしているのかもしれません。
感情の種類によって、同じような夢を見ることがあります。焦ったり、緊張が高まったりしたときです。夢に登場するものは違っても、だいたい同じような内容のものに感じられます。起きていて恐怖や心配などが強すぎると、夢を見るどころか、寝られません。寝られないので夢を見ませんが、現実には起こっていない、恐怖などを煽(あお)る想像をすることがあります。同じように、楽しかったり、うれしかった感情が強いときも寝られません。感情に何もない状態が、眠りには適しているのかもしれません。
詳しいことを忘れましたが、ある化学者が蛇の夢をみて物質の構造を解明した、というのを聞いたことがあります。また、№5『脳が冴える快眠法』にも夢で独創性を発揮することが書かれていました。2つの話は少し違うように思えますが、私が言いたいのは、寝ている間もヒトは思考をしている、ということです。私も過去に、同じようなことをしたことがありますが、寝た気はしませんでした。
夢の話を長々と書きましたが、私が言いたいのは、「睡眠中といえども、起きているときと脳の働きは変わっていないところがある」ということです。ただ、脳の活性が高いか低いかの違いに思えるのです。眠った後も精神活動を続けているのだと思います。
b 神経細胞の電気
私が起きているとき、いつも何かを、考えたり、思ったり、見たり、聞いたりしています。目的意識を持って行動する、しないにかかわらず、です。それに比べて寝ているときは、何らかの意識を持つことはほとんどありません。これを脳の神経細胞の電気の動きで想像してみるとどうでしょうか。
目的意識を持って行動しているとき、脳の中のデータのある必要な所に電気が発生し、情報のネットワークを作っていると思います。秩序正しく、または、規則正しく電気は神経細胞を流れていることでしょう。
たとえば、食事をするときのことを思い出してみましょう。まず、目で食べ物を確認し、食べ物の種類、堅さ、味などをだいたい予想します。手を動かして箸で食べ物をつまみますが、想像した堅さに応じた力を使います。そして、想像した味と実際の味を知ることになります。この食事の動作は様々な情報、目からの映像、過去のデータ、腕を動かす動作、味を確かめる確認などが伝達されて達成されるものです。
細胞を流れる電気からみれば、電気の量、流す場所、流れる順番などがちょうどよい状態であるから達成されるとも思われます。何かをしようと意識して行動することは、電気の流れに方向性を持たせた整った状態にすることともいえます。神経細胞を流れる電気は、量、質など電気製品と変わらない性質とも思えます。
では、寝ているときはどうでしょうか。たいていの場合、何かをしようという意識を持たず、自然に任せて寝ていると思います。このとき、目的意識である指示が、脳にはありません。生命体を動かす必要最低限以外、脳は働く必要はないはずです。電気を流すことをやめるのが脳にとって一番の状態と考えられるからです。では、なぜ夢を見るのでしょうか。起きているときは絶えず何かで脳を働かせています。その傾向が寝た後も続いているからではないでしょうか。目的意識の指示がないので、電気の流れは整ったものではなくなると思います。乱れた形でいろいろな神経細胞に電気を起こし、流しているのでしょう。結果として、意味不明の映像やストーリーなどを見ることを想像できます。しかし、それらの夢はその人が作っているものです。目的意識や自覚を持たないために、夢を意外に感じたり、よく覚えていないと感じるのかもしれません。当然、夢が無意識の願望のこともあるでしょう。
寝ることを利用した創造は、常識や習慣などから解放されたことを利用したものではないでしょうか。寝ることで、電気の流れが乱れ、今まで接してきたことのないデータと組み合わせが行われる。睡眠中も、強い目的意識が、方向性を持たせ、映像や物語を組み立てている。夢を覚えていれば、起きてから、見たものを整理し理論立ててみる、という作業になるのでしょうか。この方法で、何でも必ず、解決できるかどうかは疑問に思います。あくまでも方法の1つだと思います。
寝ようとして目を閉じたときに見る映像や感覚で「心像」というのがありました。この現象も、神経細胞の電気の流れから来るものではないでしょうか。目的意識、視覚から入る外界からの情報が一瞬にしてなくなるわけですから、脳に流れる電気の流れが混乱しても不思議はありません。放電のような状態になっているかもしれません。電気が規則正しく流れている状態から、電気の動きの少ない状態になるには時間がかかるということです。ブレーキを踏んでも自動車が止まるまでにいくらか距離(時間)が必要になり、車も揺れます。惰性があり、抵抗があるからです。これと同じようなことかもしれません。
睡眠のどの段階でもヒトを起こすことが可能です。呼びかけに応じるから、起きられるのです。このことから、寝ているヒトは、意識がなくなっているのではないことがわかります。活性の高い低いはあっても、一日中、脳は活動を続けているのです。神経細胞の電気の流れが整ったり乱れたりして、脳は活動をしているのではないでしょうか。寝ていても、乱れた電気の流れが、脳に精神活動をさせている、ともいえるのではないでしょうか。
c 神経細胞の電気と睡眠
なぜ寝るのか。これも、神経細胞を流れる電気で説明できないでしょうか。
脳を使っているとき、神経細胞に電気が流れているとします。電気が流れることは、細胞に負担をかけて傷をつけていると考えられます。その傷を修復するために寝ているのではないでしょうか。
深部体温が低下したときに眠気を催すのはなぜでしょうか。私は、脳と体の修復に適しているからだと思います。体温が下がる状態は、エネルギーの消費量が少ないことと、疲労物質の排出が少ないということです。これは、「修復に使えるエネルギーが多い」のと「絶えず出つづけている疲労物質が少ない」ほうが修復作業をするのに都合がいいからです。効率的な修復作業をするために寝ている、ということです。
ちなみに、体の筋肉はどうでしょう。体を動かすと筋肉が動きます。そのことで、筋肉繊維がこすれあい、傷つけ合っているそうです。スポーツや筋肉トレーニングだけでなく、日常生活で体を動かすことでも生じているのだそうです。脳と同じく、体も同じように修復作業をしているのです。
修復作業は起きているときもしているでしょうが、多くは寝ている間にしていると思います。
では、深部体温が上昇したとき(午後2時から午後4時頃)に眠気を催すのはなぜでしょうか。神経細胞を流れる電気の流れが、悪くなるからだと思います。温度が上がると電気の流れが悪くなるからです。電気の流れが悪くなることは、脳の働きが鈍くなったことを意味します。深部体温がいつもより上がるか、細胞の傷みが多いために、または2つが重なって、強烈な睡魔に襲われると私は思います。このときに短い睡眠をとっても、主睡眠に影響がないのはなぜでしょう。体温が高いために、主睡眠を必要としないところまで、傷んだ細胞の修復が十分にできない、からだと思われます。しかし、時間の経過で深部体温が下がっていくことと、脳の細胞の一部が修復されたことで、電気の流れが復活するのでしょう。さらに、神経細胞の電気の流れを活発にし、修復されなかった細胞のうえに、さらに傷んだ神経細胞が増えていく、のだと思います。
体温が上がりますが、風邪をひくとよく眠れます。また、けがをしたときも、よく寝られるときがあります。これは、電気の流れが鈍くなることと、細胞の修復が、原因の一つになっていると思います。重労働をした後、体が痛くなると同時に頭もぼうっとします。これらの現象は、脳や体を守るため、眠らせているのだ、と思います。
d 電気と細胞
慢性疲労の患者の脳の画像をテレビで見ました。医師の説明では、脳が炎症を起こしている、とのことでした。
原因を考えてみました。神経細胞に流れる電気が、過電流になったか、他の神経細胞に流れる電気とショートしたか、傷を回復することなく再度電気を流したか、して細胞が壊れかかった状態ではないでしょうか。
筋肉を使いすぎると、火照ったようになります。炎症を起こしているのでしょう。この状態の時、神経がたって寝づらいことがあります。これと同じことが脳で起こっていると思います。
野球で役割を終えたピッチャーが、アイシングといって、肩、ひじを冷やしている姿がテレビに映っていました。炎症を抑えるためにしているそうです。野球ひじなどの異常を起こさないようにするためでしょう。脳にも、このような技術が必要かもしれません。休憩時間や寝る時に、水枕などを使い、脳を冷やすのです。水枕をするとよく寝られることがあります。
なぜこのようなことが脳で起こるのでしょうか。ヒトの意識や感情が、問題を引き起こしているように思います。
自分の能力はこんなものではない、もっとできる。期限に間に合わせようと焦る。上司からのプレッシャー、部下からの突き上げ、同僚との競争、等々。ヒトは、自分、他人からの言動に反応しています。このときに、諦(あきら)めてしまえば、自分の心身に影響は少ないでしょう。ほとんどのヒトが、目標を達成しようと自分を奮い立たせます。同じ行動をするにしても、この何とかしようという意識が強いほど、神経細胞により強い多くの電気を流しているのではないでしょうか。強い電圧、多くの電流を神経細胞に流せば、大きく傷つくことは想像できます。そして、その神経細胞は炎症を起こす。その細胞が役割を果たせないので、別の神経細胞がその役割を担う。しかし、同じように耐えきれず、傷つき炎症を起こす、というように次から次へと炎症が広がっていく。修復が不完全な細胞に、電気が流れ、傷をより深くしていく。そんな状態ではないでしょうか。神経細胞が炎症を起こした状態で正常な働きができるはずもなく、熱を持っているため電気が流れにくい状態になっていると思われます。一緒に働く人から見れば、このような状態のヒトは遅鈍に見えることでしょう。
健常者であれば体の異変に自分で気づき、対処できそうに思えますが、現実は難しいと思います。細胞の修復が必要であることを自覚しているのに、職場環境がそれを許さず、無理をすることもあるでしょう。電気の異常な流れのせいで、まだまだ仕事ができるという錯覚を感じているかもしれません。気分がハイになり、自分の状態を把握できない状態です。この状態が続くと、一晩寝ても、翌日の仕事に耐えうるだけの神経細胞の修復はできないことになります。修復どころか、緊張や興奮により電気が異常な働きを続け、寝ている間も、神経細胞は傷つき続けているかもしれません。
記憶するには、寝ることが必要だとよく聞きます。記憶する際は、神経細胞に電気が流れていると思います。記憶した神経細胞は、電気の流れにより傷(いた)みます。それを寝ることにより、傷(いた)みを修復している。修復することにより、神経細胞に取り込まれたデータを保護しており、それ以上データが入らないようにしている、と思います。
暗記物は寝る前に、と聞いたことがあります。これは、記憶したデータをすぐに細胞内に閉じ込めることになります。限られたある種類のデータを神経細胞に保存することで、思い出しやすくなるのではないでしょうか。同じ神経細胞にある、雑多なデータ群から、特定のデータを取り出すのは煩雑です。思い出しにくいことになります。
寝ることで、データを脳に焼き付けている、と思います。
e 細胞と記憶
いつもと同じことをしている場合、脳にはあまり血流がないそうです。これは、電気が通る、情報を伝達する経路が確立されていることになります。電気の流れがスムーズで、少ないエネルギーで足りるからです。いつもどおりのやり方、ペース、処理量であれば、電流による神経細胞の傷みが少ないということです。これは、「慣れた」状態です。
初めてのことを覚えたり実践したりするとき、体を使っているわけでもないのに、額から汗が噴き出した経験が私には何回かあります。一言(ひとこと)も聞き漏らすまいと、店員さんから、初めての一眼レフカメラについて説明を聞いたとき、などです。
私が初めて、エアロビクスのエクササイズをしたとき、恐ろしいほど汗が出たことがあります。これは、神経細胞が初めての情報のネットワークを作ろうとしているようです。このときに、電気が様々な神経細胞に流れ出すと思います。はじめは、ぎこちない動きで、動作を覚え、流れを覚え、最終的にインストラクターを見なくてもその動きができるようになります。そのとき、情報のネットワークが完成したと思われます。汗のたくさん出る理由の一つは、体の体温調整があります。脳は神経細胞とネットワークに電気を多く使うため熱を持ちます。脳を冷やすためには、汗をかかざるを得ません。体と脳を冷やすため、合わせて多くの汗が出るのだと思います。脳を使えば熱を持つということです。
神経細胞の情報のネットワークを完成させるだけでは、その動きができないと思うことがあります。このとき、その動きに対応するため、新しい神経細胞を作ることがあると思います。元々、能力のある神経細胞がある場合、その時の練習でネットワークは完成に近づくと感じられるからです。ところが、できなかったことが、何日かたって、わずかな練習で、突然、できるようになることがあります。機能を備えた神経細胞を作ったから、だとしか思えないのです。人間は、年をとっても、環境に順応しようとします。脳細胞は、生まれたり死んだりしているそうです。
ヒトは3歳までの出来事を覚えていないのだそうです。これは脳が、彫像のように形作られるからではないか、という話を聞いたことがあります。使う機能のみ残すのを固定してしまうのが、3歳ということなのでしょうか。
学校で、オオカミに育てられた子供というのを習ったことがあります。保護されたとき、見た目はヒトでも、行動はオオカミだったそうです。また、教えても、覚えた言葉はわずかだったそうです。このことから、育児でいう「3歳神話」は本当のことかもしれません。人間としての愛情をたっぷりと受け取っておく必要があると思います。できる範囲でいろんな体験をさせるのも、将来的に行動範囲を広くする可能性があるとも思えます。
しかし、3歳までの出来事をどうして覚えていないのでしょうか。その神経細胞が死滅してしまったからでしょうか。
私が保育園に入園する前に、これだけは忘れたくないと思って、覚えたことを毎日確認していたことがありました。保育園に通いかけてからもほぼ毎日確認をしていました。ところが、何日間か確認をしなかったとき、その後、そのことをまったく思い出せないようになっていました。
子供のことですが、幼稚園の年中で、できていた逆上がりが、年長になるかならないかの時に、できなくなっていました。その頃に、今まで子供がよく口にしていた出来事について聞いてみると、「わからない」というのです。「思い出せない」ではありません。そんなことを全く経験したことのないように言うのです。明らかに何かが変わった時でした。
もしかすると、3歳頃までは、動物の本能として機能したり成長する部分や、脳の広い範囲の不特定部分に出来事を記憶しているのではないか、と思うようになりました。記憶容量や操作性を高めるために、大人は脳の特定の部分で覚えることをしているようです。その結果、脳の特定の部分の記憶の出し入れしかできないため、3歳までのことが思い出せない、のではないかと思うのです。データが失われたのではなく、脳の本来の役割を果たすべきところ以外にデータがあるため、データのある神経細胞を探すことができず神経細胞に電気を流せずにいるのだと思います。仮に、その神経細胞に電気を流したとしても、脳が役割を担っているデータではないため、取り出せないのかもしれません。もしかすると、頭の中を電気が乱れたように発生する現象(夢など)があった場合に、3歳までのデータが突発に出てくるかもしれません。
子供がどうしても寝られない時期があります。これは、大人の情報システムにするために、脳のネットワークの大改造を行っている時かもしれません。夜にもその作業が脳の中で行われるため、寝られないのではないかと思います。また、老化による睡眠は、脳細胞の老化現象に対する抵抗と適応しようとする、脳のネットワークの変革が行われているのかもしれません。新しい細胞を作ろうとするができない。新しいネットワークを作ろうと試行錯誤を繰り返している状態だと思います。細胞が衰えるたびに、変革をする必要があるのかもしれません。睡眠中に、脳を修復、作製、ネットワーク作りをすることで、特有の睡眠の症状が表れる、ということです。
新しいこと、慣れないことをした場合、神経細胞の傷み、新しい細胞を作る際の負担、必要エネルギーの増大が考えられます。修復し、完全な細胞を作り、エネルギーを確保する。これらを満足させるには、睡眠が必要になると思います。このように考えれば、子供がよく寝られるのは、成長にかかる細胞の形成に加え、初めての経験により多く傷ついた脳細胞の修復、新しい細胞を作製するのに、必然的に睡眠をとらざるを得ない、ということです。成長分だけでも、寝られるということです。
また、細胞の十分な修復、よく働く細胞を作るには、食物の栄養素も関係すると思います。アルコールなど細胞の生育に影響しそうな物質を含んだ食べ物は避けた方がいいと思いました。
f 電気と感情
うつ病は、脳の神経細胞の電気の作用による傷みが発生し、脳の神経細胞の回復をするためにとる本能的な防御反応であると思うようになりました。細胞が回復する前に、さらに傷つき、電気が伝わりにくくなる状態だと思います。
はじめから、神経細胞にまったく電気が流れないことも考えられます。やろうとするのだが、なぜだか、できないという状況です。食事をとるなど生命に必要な行動は人並みにできる。しかし、自分の好きなことはできても、それ以外のことはできない、という状態だろうと考えられます。最近よく言われる、新型うつ、はこのような状態なのかもしれません。
なぜ、神経細胞に電気が流れないのでしょうか。できる、できないには、能力と感情の問題があると思います。
能力がない場合には、その神経細胞がないか、または、その中にデータがないかです。電気を通す場所がないか、電気を通しても、何も出てこないのです。
能力があるにもかかわらず、感情がそれをさせない。感情が働かないために、能力のある神経細胞に電気が流れず、行動を実現するネットワークを作れない、こともあると思われます。嫌だというマイナス感情がある場合の回避行動をとることとは違います。その中には、自分では意識していないが、神経細胞に電気を流さないでいることもあるでしょう。
ある事柄について、良くも悪くも感情が動かない現象があると思います。ゼロの感情があるのかもしれません。この世の中には様々なことがあります。しかし、多くのものは目や耳にしても、気づいていてもやり過ごしています。何らかの感情が動くことによって、あれをしたい、これだけはしたくない、と思って、どのように行動をするか決めていると思います。やり過ごしているものに、スイッチを入れません。その結果、脳の神経細胞に電気は流れません。物事に対する瞬間の興味、日頃の興味よって、流す電気の量、圧力を変えているようなのです。どうもこのスイッチは、ある一定の電圧以上でなければ、電気を流さないように思えます。このスイッチが入るかどうかは、一瞬の興味の強さではないでしょうか。その後、電気を流す際、過剰に反応して恐怖を感じる状態は、過電流かつ乱流状態で、錯乱状態になりやすい。興味のない外界刺激に対して何も感じない状態は、電気が流れないか、不足気味、ネットワークを作ることが困難な状態で、無反応状態、になりやすい。と、考えられないでしょうか。この一瞬の興味の強弱が、神経細胞に電流を流すかどうかを決めているように思えます。このように考えると、感情をコントロールすることは大切だと思います。
本能として、ヒトは眠りたくないのかもしれません。外敵から身を守るためにです。本能にかかる睡眠は、あまり活動を低下させたくない眠りだと思います。体温を調節したり、敵から逃げたり、力を出し切るという身体能力を使うもので、浅い睡眠で対応が可能と思われます。しかし、外敵から身を守るのに、ヒトは、新しい道具を作ったり、仲間で支え合うなど、知的活動をしています。知的活動には、睡眠が必要です。そして、ヒトは、この知的活動を最も使い、重要視しています。
ヒトが身に危険を感じているとき、この「睡眠を必要とする知的活動」と「浅い睡眠で対応できる身体能力」とを同一に扱っているのではないかと思うことがあります。役割を担った脳の別々の部分が、恐怖などの感情に対して同じように働くということです。それにより、脳の細胞に大きく深い傷をつけ、修復する暇もないくらいに、電気を流し続けることがあるのではないか、と。
もし、「危険に対しての恐怖などを感じる感情の脳」、「知的活動を行う脳」、「生命体を司る脳」が独立してれば、電気の異常、自律神経の乱れなどが少ないかもしれません。知的活動を行う脳で、感情と知的活動が働くために、混乱するのだと思います。また、その混乱は、体の緊張を高めていることもあるでしょう。ヒトは、感情に左右されているのです。
g 電気と集中と平常心
目的意識を持って行動するとき、主となる神経細胞のみが活性し、すべての神経細胞とすみやかにネットワークを作れる状態が、集中の状態。
必要のない神経細胞に電気を発生させず、電気を流さない状態。神経細胞に、適切にスイッチを入れたり、電流、電圧などをよりよい状態に保ち続けるのが、平常心、ということになると思います。
h 呼吸と感情
緊張したり、怒ったりすると、心臓がどきどきしたりします。感情が自律神経に影響を与えているようです。逆に、身体に何らかの影響を与えることで、心臓の動きを整え、感情を和らげることはできないものでしょうか。
ヒトが、自律神経の動きを感じられるのは呼吸です。呼吸は、意識して、遅くしたり、深くしたりすることができます。そして、息の流れ、鼻や口から吸って、肺に入って、鼻や口から吐く、という一連の流れも感じることができます。自分の意思で、ある程度コントロールできるのは呼吸ではないでしょうか。
ある武道家が言っていましたが、「動作をするときに息を止めてはいけない。絶えず、吸ったり吐いたりするのが大切」なのだそうです。息を止めて重い荷物を持ち上げることをしないそうです。持ち上げるとき、力を出すときに息を吐くそうです。また、帯を強く締めてはいけないそうです。少しゆるめがいいそうです。禅やヨガなどの修行者も呼吸が安定していると聞いたことがあります。ヨガの修行者は、様々な条件や姿勢をしても呼吸を安定させているそうです。特に歴代の武道家は、命をかけて戦ってきたわけですから、自分をより有利に働かせるための訓練を試行錯誤してきたと思われます。何らかの感情が起こると負けることを、経験の積み重ねにより知ったのでしょう。そして、呼吸を整えることで感情を安定させることを会得したのかもしれません。
このように考えると、呼吸を整えることで、感情を安定させることは可能ではないかと思います。
睡眠の本を読む際に人体図を見ていたのですが、鼻で呼吸をする理由を考えさせられました。脳を冷やすために鼻で呼吸をしている、とも思うようになりました。構造上、頭の内部で、脳に最も近いところを空気が通るからです。暑い部屋から涼しい所へ行き、吸うときに鼻を使って深呼吸をすると気持ちよく感じられるのも、これが1つの原因ではないかと。最初に息が当たる部分は脳に近い部分で、息が当たると気持ちがいいからです。
頭の中を効率的に冷やす方法としては、鼻から時間をかけてゆっくり吸って、できだけ短い時間で一気に口で吐くのが、いいと考えられます。しかし、一気に吐くと、腹筋などを使うことになり、気が立つような気がします。いずれにせよ、鼻に息がよく通るようにしておくことは大切だと思います。
いきなり冷たい空気を吸ったり、風邪の時に鼻が詰まるのは、生命体を守るための防衛手段の1つだとも思うようになりました。脳は、熱くても冷たくても動かない。よく働く温度があると思います。
i 明かりと視覚など
寝る前に、テレビを見たり、パソコンで作業をすると私はなかなか寝付くことができません。独特の寝られない状態を感じます。体は眠ろうとしているのに、なぜか、寝られない感じです。目はものを見ることで興奮し、脳は見たものを処理するため興奮している、という感じです。考えたり、思ったりした興奮とは違うように感じます。考えたり、思ったりするのは熱い興奮という感じですが、パソコン見たときは冷たい興奮といった感じに私には思えます。
目は人間にとって、外敵から身を守る最も大切なものです。目を開けているだけで、何らかの処理をしているようです。見たものがなんであるか、どうすべきかに、脳がいつも対応しているようです。身を守る本能なのでしょう。特に夜は暗闇で、ものが見えず、人間にとって不利な状況です。
明るい場所でも寝られることがあります。子供は明るい部屋でも寝てしまいます。夜に明かりがあって、絶対に寝られないかというとそうでもありません。明るさが、神経を逆立てているとも思えません。
子供の時のことですが、秋の夕暮れに、落ち葉焼きをしたことがありました。その火は、ゆらゆらとしていました。さまざまに変化する火の動きに私は見とれていました。その晩、寝られなかった思い出があります。次のたき火からは、寝られたせいか覚えていません。寝られなかったのは、火の明かりのせいではなく、初めての経験、揺らめく火と芋が焼けることがわかり、興奮して寝られなかったのだと思います。
ピクニックに行って、秋の青空の下で、寝てしまったことがあります。太陽の暖かさと、吹く風があまりにも心地よかったのです。外で寝たので、空の青、太陽の光、木々の緑、土の色など様々な色があります。何かの色が影響しているとも思えません。
今では室内の照明は、不自然さを感じません。私の子供時代は、蛍光灯に手をかざし横に振ると、独特の見え方をしていました。このような蛍光灯は、今は少ないようです。当時の蛍光灯は古くなると、明かりに強弱、ちらつきが出てくるのです。この時に、この蛍光灯の下で遊んでいると変な感じになりました。
蛍光灯の中に、青白い光を出すものがあります。これを使っていたとき、何とも言えないイライラ感があるのです。何とも言えない変な精神状態になる感じです。使い始めたときは、少し体調が悪いのかなとか、そのうち慣れるだろうとか思っていました。結局、一週間ほどで、前に使っていたものと同じ蛍光灯に取り替えました。非常に、心安らぐ気持ちでした。
自然界に存在する光と違うと体が感じて、何らかの防衛本能を活性化させるのかもしれません。何らかの恐怖、または、生存に必要なものの獲得で、本能が反応しているのかもしれません。光源の作られ方、光の色の組み合わせなどによって、ヒトの反応に変化があるのかもしれません。目から感じる不自然な光に、脳が結論を出せずに、寝られない状態になっているのかもしれません。原因はともかく、ダメだと感じたら、何らかの対策が必要だと思います。
においも気になります。数日間、風呂に入らず寝ていたとき、自分の体臭で目が覚めたことがあります。いくら自分のものでも、強烈なにおいは、生命に危険を感じさせるようです。においから来る刺激にも注意が必要だと思います。
音のことです。ある職場にいたとき、私の近くに冷蔵庫が置いてありました。その冷蔵庫は、ジージーと音を立ててうるさいのです。周囲の同僚は、どうもその音がダメみたいで、いらいらしていました。ところが、私はあまり気になりませんでした。時々、なぜか気分が落ち着くのです。子供の時に田んぼに囲まれた所に住んでいたからだと思っています。夏の夜は、虫などが大合奏するのです。その虫の鳴く声と冷蔵庫の音がよく似ていました。日頃、聞き慣れている音や生活音は寝るのにあまり影響をしません。しかし、聞き慣れない音、気になる会話など、音源や内容が何であるかを推察しようとした場合、脳の神経細胞に電気が流れるようです。
j 本能と安心
本能的なものに、生殖活動があります。
オルガスムスの場合を考えてみましょう。ヒトの、すべての緊張の高まりから、すべての解放への移行と感じられます。この解放とは、子孫を残すという使命からの解放で、同時に、ヒトのすべてを弛緩させるものと思います。ヒトの性行為は、生物としての生殖活動で、ヒトは全身全霊でその行為をしているようです。信頼の確認と、子孫を残すという目的を達成した安心を得るものでもあると思います。
そして、この行為の間、何も考えていないし、何らかの感情もないと思います。夢中という状態でしょう。感情も知的活動も休止状態だと思われます。しかし、もし、神経細胞にマイナス感情の電気が流れたらどうでしょう。オルガスムスに必要な生理的な作用を乱す可能性を生じそうです。感情の働きにより、十分な快感を得られないことになります。その結果、生殖行為の異常、不能、変形などを生じさせることが想像できます。子孫を残すという本能的な行為においてすら、感情が悪影響を及ぼす力があると思われるのです。
感情は、性ホルモンの分泌にも影響するようです。逆に、生殖活動や、性ホルモンの分泌、流量、使用量を安定させることで、感情に左右されにくい状態を作り出せないものでしょうか。何らかの方策が思い浮かばないのが残念です。
では、性ホルモンの分泌が活発でない子供たちは、生殖活動以外の何で、信頼や安心を得ているのでしょうか。私は、本能的に守られていると思っています。胎児は母の体内で、赤ちゃんは母の腕(かいな)に、子供は父や家族に、信頼や安心を育(はぐく)み、取り込んで、生きているのでしょう。ハグや一緒に遊んだりするのは、子供たちに信頼や安心をもたらしていると思います。父母の体に安定した性ホルモン分泌などがなければ、家族にこのような信頼や安心を作り出せないかもしれません。性ホルモンは子供たちを育てるうえでも大切な働きをしていると私は思います。性ホルモンは、家族のあり方を左右しているとも思えます。
子供たちの性ホルモンの分泌が盛んになり始めたらどうなるのでしょうか。子供たちの心身に変化があり、今までとは違う状態になります。気持ちが不安定で、一定の状態であることは少なく、親とよく衝突します。親から独立しようとしているのでしょう。依存から独立への移行期で混乱した状態かもしれません。親との安心から離れ、自分で安心を得ようともがいているのかもしれません。生殖を行う生物として一人前になろうとしていると思います。性ホルモンがそれを促していると思うのです。生物としては、性ホルモンの分泌が安定した段階で、親から独立するのが、自然な成り行きと思います。しかし、経済的自立、社会的な制度、慣習などが、生殖の独立と親からの独立に期間のずれを生じさせていると思います。
性ホルモンが分泌されなくなったらどうでしょう。年をとった場合です。さまざまな身体変化に悩まされることになります。私が感じるのは、年老いたヒトが、孫ぐらいの子供に囲まれると、笑顔になっていることです。これは、小さい子供をかわいく感じるというのがあります。それに、生殖という立場からすれば、子孫を残した充実感、新たな子孫を残せる可能性に安心を得ているようにも、私には思えます。私が見た限りでは、男女とも笑顔になります。しかし、子供との接し方に、男女の区別を感じることがあります。父性的、母性的に子供たちと接しているように感じます。自分たちが子供を育てたことと重ね合わせ、何らかの充実感に包まれているのかもしれません。ヒトが充実した一生だと思えるためには、生殖活動から得られる安心が必要なのかもしれません。
生殖活動とは別にしても、安心を感じている状態が、ヒトが持っている能力を発揮できる一つの条件になるのかもしれません。これは、家族だけでなく、会社などのヒトの集まりにおいても同じことだと思います。
k 身体と本能
脳以外の身体についても、気になることがあります。
体を使った労働、スポーツなど筋肉を使った場合に、よく眠れることがあります。筋肉を動かした場合、筋肉の繊維が擦(こす)れ合い、繊維を傷つけているそうです。脳の回復と同じように、筋肉の積極的な回復をするのが、睡眠だと思うのです。
毎日か、定期的に運動をすると、その運動での疲れを感じにくくなります。これは、筋繊維の傷をどの程度で修復できるかを、脳が体の回復能力と照らし合わせ、わかった状態といえるのではないでしょうか。このときの、脳の働きは通常と変わらないと思います。
ところが、日頃している運動量を増やしたときに、頭がよく働かない、ボウッとした状態になることがあります。これは、脳が、体を休め、体を作るために、そのような状態を作っていると思います。修復すべき傷の量が多いということと、同じことが起こったときに備えて筋肉を強化することが行われていると思います。
組織内の、マラソン大会、クラブ活動での試合などで、いつも以上に筋肉を使った場合はどうでしょうか。外部の大会では精神に与える影響も多いため、組織内での場合を考えてみました。翌日以降に、体の節々が痛くなったことがあります(年をとると翌々日以降になることが多くなりました)。激しい運動をすると、その日の夜、神経が研ぎ澄まされた感じて、寝られないことがあります。傷つけた筋肉を修復し、筋肉を強化する必要があるのに、です。これは、外敵から生命を防衛しようとするからだと思います。外敵から襲われたときに、全力で、戦う、逃げるなどして身を守るということです。その余韻、まだ、敵が襲ってくるかもしれないという危険に、本能が臨戦態勢を維持し続けている状態と思えるのです。
睡眠をとるためには、適度な運動も効果がある、ということです。適当に、筋肉を傷つけ、強化するということです。ところが、同じ筋肉を鍛えるには、限界があります。また、体のバランスを崩すことにもなります。定期的にする一定量の運動と、定期的にあまり使わない筋肉の強化を織り交ぜて、運動することが、睡眠には必要だと思います。
手や足が冷たいとき、体に何らかのダメージを受けた直後には、なかなか寝付けません。これは、脳が、体に異常事態を感じて、その対処をさせるために、眠りを邪魔しているのだと思います。
手や足が冷たい状態とは、血行が悪いことだと思います。血行をよくするためにはどのようにすればいいのでしょうか。手や足が冷たい状態を改善するために、暖める道具、衣類、こたつ、ストーブなどを使います。しかし、私の場合、これを使っても十分に効果があるとは感じられないときがあります。体が、これらの道具に呼応しなければ、十分な暖かさを感じません。自発的に回復しないと暖かくならないのです。運動を1週間程度しない場合と、定期的に運動をした場合とで、寝るときに使っている足ごたつの感じ方に違いがあるのです。運動をしない場合は足こたつを使っても、足の芯が冷たいように感じます。定期的に運動をしているときは、足が自然と芯まで暖かくなってきます。回復を呼び覚ますために道具を使うと考えた方がいいかもしれません。なぜ、このようになるのかはわかりませんが、運動が鍵を握っているようです。
また、運動はトイレにも変化があります。運動をしないとき、寝ている途中でトイレに行きたくなることがあります。運動をすると、この現象が減るのです。おそらく、運動すると汗が出るので、いつでも出せる汗を体の中に留(とど)めておこうとしているのかもしれません。
運動することで、血行と体液の循環がよくなり、食物などからの栄養素、ホルモンなどの分泌物を体中に行き渡らせやすくなることが想像できます。また、体の隅々の老廃物を運び出し、老廃物を排泄する量も多くなると想像できます。その結果、傷ついた細胞を十分に修復でき、さらに、短い時間で行えるかもしれません。
成長ホルモンの効果については『あなたの人生を変える睡眠の法則』の中に述べられていました。運動によって成長ホルモンの分泌を促せるのかどうか私にはわかりません。これらを効率的に活用するため、血行をよくし、体液を循環させることのできる運動などは必要だと思います。
ダイエットをしたときに、食べる量と運動量をチェックしたことがあります。運動量も摂取カロリーも同じなのに、体重が急激に減ったことがありました。はじめは、間違って、食品の摂取カロリーを適正な数値より多めに見積もっていると思っていました。摂取カロリーを実際には少なめにとっていたために、体重が急激に減った、ということです。ところが、摂取カロリーの計算を少なめに見積もると、明らかに本に記載されている食物量とカロリー量が合わなくなるのです。気づいたのは、基礎代謝です。運動すると基礎代謝が上がるのです。なぜ、基礎代謝が上がるのか。それは、運動した分、筋肉の細胞を修復する量が増えたからだと考えられるのです。修復するのに、カロリーと栄養素が必要になります。
脳のカロリー消費量は、体全体で消費するカロリーの20~30%だと聞いたことがあります。細胞の修復、作製を考えると、栄養素も必要になることでしょう。
私が言いたいのは、この修復作業をするには、エネルギーや材料が必要になる、ということです。逆に、不必要で、過剰な材料があると、現場は混乱して時間がかかり、最悪の場合、作業をしない状態になってしまう、かもしれません。
食べるものは重要だということです。細胞を修復したり、作ったりするにはどのようなものが必要かということです。そして、何が必要でどのように使われて、細胞を修復したり、作ったりしているのかについて、よくわかっていない部分があると思います。このことを考えると、色々なものを食べておく必要があります。下手物(げてもの)食いを言っているのではありません。
炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルなどです。これらを必要に応じて取る必要があると思います。必要な物資がなければ、細胞の修復や新たに作ったりできないと思うからです。しかし、毎日すべての栄養素の入った食事を取ろうと思うと、全体に量が多くなり、実現するのは難しいと思います。そして、太陽光です。生物は太陽から多くの恵みを受けてきました。わかっている恵みはわずかかもしれません。太陽光を浴びる、浴びながら体を動かすことは必要なことだと思います。
食べ物で気をつけたいのは、ソーセージ、ハンバーグなどの人工物です。スーパーマーケットやコンビニエンスストアのお弁当を私が食べたとき、風をひいたときのように、体が熱っぽく感じられ、頭がボウッとするのです。家で作ったお弁当でも、お店で買ったソーセージやハンバーグ、その他お総菜、冷凍食品が入っているとき、そのような状態になることがあります。料理店が作る仕出し弁当は、そのような状態になったことがありません。原因を食品に探してみると、食品の添加物ではないかと思っています。違いが、そこにしかないからです。お弁当の表示を見ると、保存料、着色料などの様々な添加物が書かれています。私の体が、何かの添加物に反応しているのかもしれません。私の場合は、添加物に気をつける必要がありそうです。
アルコールは、血行をよくし、緊張を和らげてくれるのに役立ちます。しかし、飲み過ぎは体に負担をかけてしまいます。老廃物の量を増やしてしまいます。ついつい飲み過ぎてしまいますが、適量を取ることが大切だと思います。
男女によっても違うようです。女性は鉄分を必要とするようです。男性は意識的に鉄分を取ると、取り過ぎで臓器にダメージを与えることがあるそうです。
おいしいものを食べることも重要です。私の場合、おいしいものを食べると脳が踊るような感じで、うれしくなります。脳が活性化されるように思えるのです。食事にうまみ成分を加えると、今まで介助を必要としていた認知症の患者の中に、自分で食事をとるようになった人がいたそうです。食事のおいしさは、人間の生命力を喚起させてくれるのかもしれません。このこと考えると、ある特定の食べ物をおいしいと言って大量に食べるヒトに、栄養が偏るからダメとは言えない、と思いました。足りない栄養素を取るようにすればいいだけのことなのですから。好きな食べ物があることは、ヒトにとっていいことだと思います。
いくら栄養バランスの取れた食事を口に入れても、十分な吸収がなければ、細胞の修復現場まで届きません。消化器にかかわる部分の調子を整えることも必要です。舌、歯、口内、食道、胃、腸などです。私が食べ過ぎて、胃腸の調子が悪いとき、体がだるく、よく寝られません。このようなときは、内科を受診することがあります。私の場合、量を少なめに取る方が体の調子がいいのですが、いつも食べ過ぎてしまいます。たまに、1、2食抜いたり、2~3日断食をすることもあります。これは効果があります。胃腸を整えるだけでなく、生命力が出てきます。消化器の管理は大切です。
長い期間、風邪をひいて寝込んでいたとき、「疲れた」と思ったことがあります。寝るには体力が必要なのです。日頃から筋肉を使うなどして体を鍛え、十分な栄養を取って、体力をつけておく必要があります。
l 刺激と道具
寝ている時に、寝返りを打ちます。この時、体を動かしますが、体のどこかに違和を感じると、起きてしまいます。脳に、何らかの電気を生じさせているのでしょう。これを解決するには、体を柔らかくすることだと私は思っています。体の可動域を広げること、柔らかい体を作ることだと思います。ストレッチをすることしか思い浮かびません。首、腕、足、胴などはストレッチを意識的にしています。その上に、目、耳、舌、顔面、頭、手や足とその指、かかとなどもすると、血行がよくなり気持ちよくなります。目や耳などはストレッチというよりは、マッサージやツボを押さえるのに近いものです。
肌からの刺激が睡眠を左右することがあります。私の場合ですが。寝る前に風呂に入ったときで、タオルで体を洗った場合、なかなか眠ることができません。ただ、湯船につかるだけであれば、寝られることは結構あります。ただし、長湯をすると、眠れなくなることが多いです。このことから、肌に刺激を与えることは、脳に電気を起こさせているともいえます。起床したときに、目を覚まさせるために、乾布摩擦などをすれば効果があるかもしれませんが。
衣類の肌触りも気になることがあります。衣類の、形、大きさ、素材の種類、組合せなどが自分に合っているかどうかも大切だと思います。
できれば、肌から受けるストレスを和らげることはできないでしょうか。たとえば、乾布摩擦をして、皮膚を鍛えられないのでしょうか。
いくら体の調子を整えても、睡眠を十分なものにできないことがあります。その時は、道具を使うことを考える必要があります。
私は、長い間、和布団に寝ていました。そして、腰の状態がよくありませんでした。お尻が背中側に出っ張っているため、床に寝た場合、ブリッジをしたようにへそを突き上げて寝る体勢になるのです。腰痛体操や体を横向きにする姿勢、状態が悪くなりそうな時はコルセットで対応していました。上を向いて寝られないのはストレスで、よく寝られませんでした。たまたま、いつも買い物に行くスーパーマーケットに、期間限定のキャンペーンでマットレスを展示販売していました。宣伝で知っていたので、この製品をあるプロ野球選手が使っていることを私は思い出しました。展示品に寝ると、いいではありませんか。その場で、買ってしまいました。数日後、自宅にマットレスが届き、使い始めました。それから、腰への不安はなくなりました。それから、よく寝られる日が多くなったのです。
その後、私の話を聞いた知人が同じ製品を買いたいと言うので、展示販売をしているお店に行きました。店員さんの話によると、店員さん自身は、私が使っている種類のマットレスでは、肩が凝ったりして寝られなかったそうです。何年も使えるマットレスなので捨てるわけにいかず、状態を調整するために、さらにクッションなどの敷物を買ったそうです。買ったお客さんの中に、マットレスが合わないと苦情を言ってきた人もいたそうです。
私は、運良く、自分に合ったマットレスに巡り会うことができました。しかし、老化につれ体型が変わることを想像すると、次に使うマットレスは今と違うものになっているかもしれません。寝具を選んだり工夫するには時間と費用がかかりますが、自分に合った寝具を見つけることができれば、寝やすくなります。
マットレスだけでなく、枕、掛け布団、シーツなど自分あった道具を使うことは、寝やすくするのを助けてくれます。状況によって、エアコン、除湿器、扇風機、団扇(うちわ)、足こたつ、水枕などを使うと寝やすくなることがあります。
寝る工夫として、私がよくやるのは、薄い布団を用意して、足下に置いておくことです。
冬は、マットレスの下から掛け布団の上に、緩めに巻くように使います。足下の暖かい空気を逃さないためです。
夏は、マットレスの下から上に巻くようにして、薄い布団の上に足を置いて寝ます。クーラーが寒いと思えば、足を薄い布団の中に入れます。足を冷やさないので、寝た気になります。定期的に運動をしていると、薄い布団の中に足を入れるとすぐに暖かくなってきます。運動は夏でも効果があります。
体で対応できない所は、道具で補うといいと思います。
m 本能と錯覚
生物としてのヒトは、子孫を残すために生きています。そのため、生命体を維持し、外敵から身を守るために、生産活動などをしています。ヒトが身の安全を確保するのに、体が疲れて休む本能、山火事などで逃げる反射の行為、現実に起こっていることから危険を察知する知的行為などがあります。
ヒトは視覚により、安全を確保するため、大半を視覚からの情報に頼っています。脳を使ってどのように行動するか決めているのです。しかし、目は視覚をただ脳に伝えるだけでなく、目、自らの本能に基づく防衛反応を持っているのかもしれません。ですから、光の種類によって、理解のできない感覚になるのかもしれません。
視覚と脳は一つのものになろうとしている。視覚と脳は、直接つながっている。防衛本能をすみやかに実行に移すために、そのようになっているように思えます。いつもと違う光や動きに違和を感じたとき、視覚が感じた異常を、現実の恐怖として、脳が防衛反応を起こすことがあると思えるのです。目は、脳が感じる以上に、恐怖を感じることがある。脳が認知できないことを目が危険信号のみで伝えているように思えるときがあります。言い換えると、脳は、具体的な危険がなんであるかわからないまま、恐怖を感じることがあるのではないかと思うのです。
目を閉じるだけでも、脳を休ませることができる、と思います。
また、脳は、現実に起こっていることに危険を感じ恐怖を覚えます。さらに、現実から予知した危険に対し、恐怖を感じることもできます。予想したことを恐ろしいと感じるのです。現実には起こるかどうかもわからないし、まだ、起こっていないことに、恐怖を感じるのです。誰かから嫌みを言われたとき、「あの人は、なんでそんなことをいうのだろうか」と色々と考えることがあります。わからないのなら、言った人に聞けばいいのですが、聞き返せないこともあります。色々と考えたことが現実のこととは限らないのに、ヒトは、想像することで、恐怖心を増大させているのです。ヒトは、予知をして、現実に準備をして、生命を維持します。そこに、想像した恐怖を取り込んでいるように感じます。本能的な恐怖、現実的な恐怖、想像した恐怖などを混同する傾向があるように思います。さまざまに感じる恐怖を、本来ある生命体の恐怖に集約する傾向がある、と言いたいのです。危険を予知することは、身を守ることでもある一方、恐怖で自身を傷つけている、かもしれません。さまざまな恐怖を脳が適切に区別し処理するまでに、脳は、まだ、進化をしていないのかもしれません。感情と知的活動の区別ができていないと思うのです。
恐怖により、本来生命を維持するための機能が、脳の神経細胞に絶えず電気を流し続け、傷をつけ続ける状態になることがある、と思います。自分で自身を傷つける、自己免疫疾患のような状態を作っている、ということです。
幻肢痛(げんしつう)というのがあります。こぶしを握りしめたまま、空襲で手を切断した人が、戦争体験を語っていました。戦争から何年もたつのに、無い手のこぶしに力が入ったままだと言うのです。無い手のこぶしを開いて、手を楽にしたいと語っていました。
現在ではこのようなケースの場合、片手のみの切断については、治療法があるそうです。今ある片手を鏡に写し、その手を、手の無い側にあたかも手があるように見えるようにします。そして、今ある手でこぶしを作り、手のひらが見えるように開くのだそうです。すると、現実にはない手の力が、抜けるのだそうです。
無い手の力が入っていること、その力を抜くこと、どちらも現実のことではありません。錯覚のようなものです。現実には起こっていないのに、本能として感じる恐怖は、幻肢痛と同じように思えるのです。この恐怖が錯覚なら、錯覚により恐怖をなくせるのではないか、と思うのです。ヒトの錯覚が、人を助けもするが、傷つけもしている、ということです。
ふとしたときに、ある出来事を思い出して、懐かしいと思うことがあります。何かの拍子にそのデータのある神経細胞に電気が流れたのでしょう。何日もたったのに、嫌な体験をなかなか忘れられないことがあります。日常生活の動作と同じようにその神経細胞に当たり前のごとく電気が流れているのでしょう。脳からこの記憶を消し去るには、この神経細胞を取り除くか、壊すしかないと思います。ところが、ヒトは、この神経細胞ではなく、ほかの神経細胞を傷つける傾向があるようです。脳からデータを消し去ることは、困難だということです。これに、対応するには、これらのデータと上手につきあうしかありません。がん治療において、取り出せない部分をコントロールしながら、生命を維持することがあるそうです。共生するということです。
なぜ、この嫌な出来事を忘れられないのでしょうか。ヒトの防衛本能と関係があるのでしょうか。将来、同じような目に遭わないために、データを保存しているのかもしれません。感じ方はヒトによって違うでしょうが、この感じ方が強いと絶えずそのデータのある細胞とネットワークを築くことになるようです。ヒトにとって、このデータは、将来の危険を回避するために必要なのです。命を守るために、本能がそのようにしているのだと思います。
しかし、このデータをいつも起動させていることは、脳を動かすうえで効率的ではありません。
錯覚をもって対応できないでしょうか。この嫌な出来事を、懐かしい思い出にしてしまうことはどうでしょう。すでに、この出来事は、現実のものではありません。過去のものです。思い出したときに、「あの時は苦しんだけど、こんなこともあったなぁ。今では、XXな思い出になった」としみじみと思うことだと思います。本能が現在もデータを必要と錯覚していることを、錯覚を使うことでこのデータをネットワークから外すことを試みるのです。合理的に考えて、今はこのデータは必要ないと割り切れるなら、それでいいと思います。何らかの感情のある出来事は、合理的な割り切りでは、納得できないことがあります。この納得できない思いをも、懐かしい思い出にしてしまえばいいと思うのですが。
あの人は何でそんなことをいうのだろうか、と感じるときがあります。これを、あれやこれやと考え続けてしまうのです。自分で考えても、わかる問題ではないのに、です。『脳が冴える快眠法』の59~60ページ、2014年1月28日の朝日新聞・朝刊(25ページ)の記事『EYE西村欣也氏 田中へ超一流の処世術』に、自分のコントロールできないことへの対処法が書いてありました。私の元上司が「ヒトは言いたいことを言う」とよく言っていました。人の口に戸は立てられない、のです。これは、自分ではコントロールできないことです。これに気をとられてはいけないのです。自分でコントロールできないことを考えるのは、脳を無駄に使っています。また、ヒトの言った内容が、正しいかどうかなど、気になることがあります。言ったヒトの、思ったり感じたことや、言ったという行為、は事実です。しかし、その内容が、本当のことかどうか、誰にもわからないのです。神のみぞ知ることなのです。神の領域なのです。自分で考えても答えの出せないことや、誰が考えてもわかりそうにないこと、感情として割り切れないことに答えを出そうとしても、所詮(しょせん)無理なのです。最近、私はこの種のことを考える努力をやめました。私は頭の中に「神様ファイル」を作り、奉納することにしました。自分で解決できないことは、神様に任せることにしました。何も自分で解決することはないのです。専門家である神様に問題を信託すればいいのです。これ以降、私は、心の安らぎを少し得られるようになりました。このことは、妄想から現実の世界に、自分を引き戻してくれます。「自分のできることを確実にひとつずつする」というのに気づかされます。余分なことに脳を使わなくなり効率もよくなります。
子供は、明日何して遊ぶかなど、将来のことを考えることが多いのだそうです。大人は、過去のことを中心に考えることが多いのだそうです。大人の考える習慣が身を守る本能であるなら、子供の考える習慣は生命を獲得するための本能かもしれません。この本能のバランスをとるためには、今より先に、楽しみを考える習慣を身につけた方がいいかもしれません。過去に楽しかったことで、これから楽しいと想像できることを今より先にすることをいつも考える、ということです。
釣り好きの知人は、今度はどこに行くか、どんな魚を狙って、どんな釣り方をするかをよく口にします。過去の話といえば、大物を釣った話です。一緒に食事に行くと、箸を見ればウキ、ナイフやフォークはルアー、での釣りの話をします。台風通過の直前直後に釣りをすることもあるそうで、知人の防衛本能を疑うこともあります。しかし、知人のこの精神活動の傾向を私はうらやましく思います。釣りに行っても嫌なことはあったはずです。にもかかわらず、過去も現在も未来も、楽しいことで一杯です。日常生活と同じように、釣りという楽しいことで、生命を獲得する本能を優位に働かせているのだと思います。
昔に比べてよく眠れなくなったと思うときがありますが、昔のよく寝られた時期にも寝られなかった日はありました。眠れない日々が続く中にも、寝られたと思う瞬間はあります。比較することは必ずしも、現状を正確に表しているとは思えません。
寝られた瞬間をより拡大して、この時はよく寝られたと思うことでしょう。現状から、少しでも寝られるように努力し、わずかでも向上すれば喜ぶ、のがいいと思います。
寝ている時も精神活動をしていると思うと、イメージトレーニングに効果が期待できます。寝られた瞬間を思い出し、その感覚を寝ている時に、そうなっているようにイメージをすればいいのです。お稽古事やスポーツの習得と同じで、目的意識を持って、日々睡眠の練習をするだけです。
n 最後に
神経細胞の電気の流れで考えてきましたが、実際には、もっと複雑な働きがあるのは当然のことです。分泌物を考えてみても、電気をより効率的にするもの、神経細胞を傷みにくくするもの、細胞の修復をする分泌物、信号を伝達しやすくするものなど、いろいろなものがあるはずです。
鍛えたい筋肉を見ながら、強くなることを意識しながらトレーニングをすると効果的なのだそうです。眠りも意識することで、熟睡したと思える睡眠ができるようになるかもしれません。
睡眠は奥が深いと思います。
「読んだもの」以外に
- 『ふぁ~極上の熟睡感!グッスリ朝まで眠る術』NHKためしてガッテン(平成25年9月25日(水)午後8時放送)
- 『睡眠時無呼吸症候群』NHKきょうの健康(平成25年12月24日(火)午後8時30分放送)
- 『あなたの疲れ 大丈夫?~疲労研究 最前線~』NHKかんさい熱視線(平成26年1月10日(金)放送)
- 『不眠症の治療 睡眠日誌と睡眠制限法』NHKきょうの健康(平成26年1月27日(月)午後8時30分放送)
- 『不眠と睡眠薬 正しい使い方・やめ方』NHKきょうの健康(平成26年1月28日(火)午後8時30分放送)
- 「旅先でよく眠れますか?」朝日新聞be・b10(平成25年12月21日(土)掲載)
- 「生活リズム戻すコツは」朝日新聞・朝刊・28ページ(平成26年1月6日(月)掲載)
を見ています。
以下余白
更新記録など
2016年1月15日(金) : レスポンシブ様式に改装